岩本 隆史 【発表概要】
将来が不安ですか。それはそうですよね。もとから変化が激しくて大変だったところに、AIが拍車をかけたわけですから。
でもですよ。「不安だ不安だ」と言っているだけでは、不安は消えませんよね。
どうしたらよいのかって。53歳の現役エンジニアから言わせていただくなら「楽しいことに夢中になって忘れる」しかない気がします。
ぼくの場合は「資格取得」と「未知の技術への挑戦」に夢中になりました。そうしたら、いつしか不安が薄れました。
もう少し詳しく話しますね。あなたが夢中になれることは何か、考えながら聞いてくださるとうれしいです。
【なぜこのトピックについて話したいのか】
不安に押しつぶされそうな方の気持ちを少しでも楽にしたい。
ぼく自身、不安をどうにかしたいと思い、楽しいことに夢中になりました。結果、生きのこれています。
その経験則をお話しすることで、悩んでいる方の背中を押せると信じています。
燃え尽き症候群を起こしていた時期、それを改善するための鍵は「無理にでも寝ること」でした。必要なのは酒でも息抜きの何かでもなく、質なんかも関係なく寝る。寝ることができるようになることで、心に余白ができ、日常を改善することができた経験談です。
メンタルが落ちる時に、酒に逃げようとするのも気持ちはよくわかります。自分もやってきました。でも酒ではなく、睡眠に全振りして改善をした話をします。
私は一時期燃え尽き症候群で仕事には集中できず、家庭でも常に不機嫌な状態で各所に迷惑をかけていました。そんな私が睡眠を改善することでメンタルを安定させることができたので、その経験談と今意識していることを発表します。
げっしー VPoEとして5年間、私はほとんどコードを書きませんでした。採用活動やマネジメントやコーチングに振り切ることが、自分の役割だと思っていたからです。しかし生成AIの波が来たとき、技術的直観が鈍っている自分に気づきました。議論はできる。でも本質を掴めていない感覚がある。このままで本当にこの先生きのこれるのか、と不安になりました。本セッションでは、遅れたと感じた時などを振り返りながら、AI時代に40代の技術リーダーが何を取り戻すべきかを考えます。
VPoEとしての5年間、私は意図的にコードを書きませんでした。組織を強くすることに集中し、それが最も価値があると考えていたからです。結果、組織は10名から200名まで成長していきました。
転機となったのは生成AIの急速な進化です。今では周囲が日常的にAIを活用し始める中で、自分は“使えているつもり”でも、本質的な判断ができていないことに気づきます。技術的直観が鈍ると、意思決定の解像度が下がる。そこに強い危機感を覚えました。
現場に戻って感じたのは、ブランクは正直そこまで大きくなかった、ということです。
というのも、コードは書いていなかったけれど、技術から完全に離れていたわけではないからです。
設計レビューはしていましたし、技術選定にも関わっていました。
生成AIについても、調査はしていたし、議論にも入っていました。
でも、それでも足りなかった。
“知っている”と“触れている”と“自分の手で作っている”は別物でした。
コードを書かない間にも技術に関わっていたつもりでしたが、直観の解像度は確実に落ちていました。
書ける・追える・理解できる。
それでも「腹落ちして判断できる」状態ではなかった。
AIは魔法ではなく増幅器であり、基礎的な設計力や抽象化能力があってこそ意味を持つと実感しました。
本セッションでは、
・技術から離れることのメリットと代償
・マネジメント主体となってもやるべきこと
・40代がこれから生きのこるために持つべき軸
を整理し、マネジメントと技術をどう再統合するかを考えます。
完成された成功談ではなく、葛藤の途中にいる当事者として、「いまから、ここから」始められる現実的な選択肢を提示します。
・技術から少し距離を置き始めている40代以上のエンジニア
・VPoE、EM、CTOなどの技術リーダー
・「この先、自分は何で価値を出すのか」と考え始めている30代
・技術とマネジメントをどちらか選ぶのではなく、再統合する視点
・生成AI時代において“判断できる人”でいるための考え方
・コードを書かない期間があっても、戻ることは敗北ではないという実感
・40代からでも始められる、現実的な一歩
私はまだ葛藤の真っ最中です。
きれいに整った話ではなく、迷いながらどう考え直しているか?を共有したいと思いました。
40代であっても、遅れを感じても、ここからもう一度再起動できる。
でも、それは何もしなくても戻れるという意味ではありません。
その実体験を、同じように揺れている誰かに届けたいと思い、応募しました。
Kaitou 「◯◯✕△△の✕(かける)人材になって希少価値を上げろ!」みたいをよく目にします。
また「✕」だけでなく「越境」「横断」というワードも目にするかもしれません。
たしかにこれからの生き残りを踏まえて、自分の希少性を伸ばしたいと考えた場合「スキルの組み合わせの多様性」や「経験した領域や業界の幅」には目がいきがちです。
しかし「✕」「越境」「横断」を突き詰めた結果、キャリアの行き詰まりに到達してしまうことも少なくありません。
私の実体験で行き詰まってしまったお話をベースに「✕」「越境」「横断」では駄目なケース、ひいては環境に適応するだけでは良いキャリアに到達するのは難しいケース、その対処や乗り越え方についてお話いたします。
いわむーちょ ①発表概要
「将来どうなりたいか?」……そんな贅沢な問いは、我ら氷河期世代にはなかった。
1998年、山一證券廃業の年に大学を卒業した文系出身、専門知識なし。2000年問題の人手不足に紛れ込み、半ば破れかぶれにSE業界を選んだ。
以来、私の判断基準は「二つ二つの場にて、おもしろき方に片付くばかりなり」。
『葉隠』の一節を「おもしろき方」と読み替え、ネタになりそうな道へ進む。人生の岐路に立つたび、安定よりも変化を選んできた。
30代の青年海外協力隊、沖縄移住。40代の独立、ヨガ修行。すべては「どうせ何も得られない人生なら、せめてネタになる経験だけでも」という執着だった。
しかし、死場所を求めてあがき続ける中で、私はエンジニアとしての「生」を再発見する。
戦略もロードマップも持たず、「おもしろき方」を選び続けた結果、運良く生き残ったエンジニアの記録。
②発表の詳細
本セッションでは、論理や戦略ではなく「ネタ」がある方へ進むことで生き残った軌跡を、3節で構成します。
絶望の20代:SE業界の隅っこで「死なない」ことだけを考えた
就職氷河期ど真ん中の1998年。文系未経験の私が潜り込んだのはSE業界の末端だった。
キャリアプランなどはなく、目の前のコードと格闘し日銭を稼ぐ日々。現場は個人主義の強者揃いで、できない者から辞めていく。
「腕を磨かなければ生きていけない」という強迫観念の中、パワハラにあえばコードで殴り返そうと足掻き、返り討ちにあいながら、生き残るためだけに転職を繰り返した。
この「生」への渇望が、後の「おもしろき方へ」という思想の種火となった。
葉隠精神の実践:青年海外協力隊、沖縄移住という「ネタ」の獲得
30歳を迎え、SEとしてのキャリアが安定してきたとき、あえて「ネタ」を求めた。
青年海外協力隊として2年間、フィリピンの田舎町でIT技術指導にあたり、帰国後はいったん復職するも沖縄へ移住。
周囲からは「キャリアの放棄」に見える選択も、自分にとっては「おもしろき方」をとる葉隠の実践だった。
未知の不条理(言語の壁、文化の差)に飛び込み続けることで、単なるITスキルを超えた「生きるための智慧」を磨いていった。
この蓄積は、自分だけの「代替不能な希少性」を生み出したと言える。
わかりやすいキャリアパスを捨てて「おもしろき方」へ舵を切ることが、逆説的に生存確率を最大化させるリスクヘッジとなり得るだろう。
ヨガ修行という再発見:エンジニアを続けながら「生」を得る
40代、身体の不調を機に2016年からヨガを習い始め、2019年に43歳でフリーランスとして独立。
自らの腕一本で生きるプレッシャーの中で、ヨガは心の支えとなった。
2021年、45歳でヨガインストラクター資格を取得。ヨガインストラクターの活動を始めたのは、やはり「おもしろき方」の嗅覚が働いたからだ。
生成AIが台頭し、論理的な正解が容易に代替される時代だからこそ、私は「代替不能な身体感覚」を重視したい。
ITという論理の世界と、ヨガという身体的な世界を越境することで、私の内面に変化が起きた。
かつてはコードで殴り合っていた世の中の不条理さを、ありのままに受け入れられるようになった。
鋭利な論理を柔軟な呼吸で包み込む。このバランスを手にしたとき、私はようやくエンジニアとして「熟す」感覚に近づけた気がした。
本セッションは過去の回想ではない。
50代を迎えた今、生成AIによって吹き荒れる嵐の海をどこまでも「おもしろき方」へ進み続ける決意表明である。
③想定する聴衆とその人たちが得られるもの
【想定する聴衆】
・将来への不安(キャリアの行き詰まり)を抱えている方
・牢獄の庭を歩く自由より、嵐の海だがどこまでも泳げる自由を欲する方
【得られるもの】
・「おもしろき方(ネタ)」という新しい判断軸による閉塞感の打破
・異文化や不条理に身を置くことで、技術を「生きるための智慧」へと昇華させる視点
・身体性を取り入れて論理の限界を越え、エンジニアとして「熟す」ための知恵
④なぜこのトピックについて話したいのか
私は、戦略的に成功したエリートではありません。
氷河期の絶望から「やけのやんぱち」でSE業界の牢獄に飛び込んだ、運が良かっただけの生き残りです。
フィリピン、沖縄、ヨガ修行。一見無関係な寄り道こそが自由な嵐の海であり、そこで得た智慧が論理だけでは解決できない行き詰まりを解消する糧となりました。
生成AIの時代だからこそ、自身の身体性と不条理を面白がる精神が、代替不能な武器になると確信しています。
若い仲間たちへ、あえて遠回りをする「おもしろさ」を伝えたいと思います。
橋本 将吾 ①発表概要
生成AI活用時代において、人間だからこそできる仕事こそが「この先生きのこる」鍵になると信じています。
多くの現場で、開発組織の課題、事業進捗の壁、評価の悩みなどが尽きません。しかし、そこに本気で立ち向かう人は圧倒的に少ないのが現実です。
だからこそ、エンジニアからVPoEになり約7年、泥臭い課題に向き合ってきた私自身のキャリアを元に、「攻めの選択肢としてのマネジメント」についてお話しします。 「コードを書くのも良いけど、マネジメントも案外ありだな!」と、新たなキャリアの可能性を感じていただけるノウハウや考え方をお伝えします。
②発表の詳細
この発表では3つのセクションでお伝えしたいと考えています。
自身のキャリア形成や価値観を中心にお伝えさせていただき、生成AIでは担えない領域として組織や文化づくりのポイントやノウハウをお話させていただきます。
1,自身キャリアとターニングポイント
・新卒SESエンジニア
・顧客の顔が見えないもどかしさと、クライアント要求と自分のアイデアとのギャップ
・メガベンチャーで圧倒的成長
自身の価値観、キャリアのベースへ
・売上、利益、コスト、QCD調整…ビジネス視点を持つエンジニアへの脱皮
・サービスの拡張、顧客獲得、流通拡大への意識変革
・4期目ベンチャーでの洗礼
・「組織づくりはコードより難しい」という現実
・4サービスを作り、3サービスを閉じる(組織解散)経験
・メンバーの不満から学んだ「自分を変えねば」という痛切な教訓
・VPoEとしての初キャリア
・組織崩壊を前提とした「ゼロから作る」覚悟
・「強いエンジニアを集めれば勝てる」わけではないチームの力学
・自分がJOINした目的と、組織づくりのゴール設定
2、現在のITエンジニアに求められる「生存能力」の変化
「Webサービスを作って営業すれば売れる」という時代は終わりを迎えつつあります。
巨大プラットフォーム化、専門領域DX、BPO領域への深化など、業界構造は変化しています。
3,VPoEへの実践と心構え
「マネジメント」や「組織づくり」は、転職しなくても今の会社で始められます。
私が実践してきた具体的なアクションと、マインドセットの変え方をお伝えします。
・自分を変える勇気:自分の軸と関わり方の変化
・視座の転換:顧客に向き合う文化を作り、「課題解決者」という役割を担う
・評価と文化:アウトプット(作った量)からアウトカム(出した成果)へ評価軸を変える
・チームの融合:事業企画と開発組織を「縦割り」にせず、1つのチームにする仕掛け
・組織戦略:採用の戦略、そして必ず起きるハレーション
・ゴールの設定:自分たちは何のために組織を作るのか?
など
③想定される聴衆・得られるもの
【想定聴衆】
・マネジメントに行くべきなのか悩んでいる人
・組織の中でミドル層以上になりEMなどマネジメントの役割をやり始めた人
・プロダクト方針、開発組織課題や評価などにモヤモヤしている人
【得られるもの】
・マネジメントで行うべき行動とスタンス
・社内外から評価されるためには何を意識すべき視点
・事業づくり、組織づくりというエンジニアリングからの視点
④なぜ私が話すのか
事業成長やプロダクト拡張に応じてエンジニア組織の大きさと比例して課題が大きくなり
そこに対していつの間にか幅広く課題解決者として猛進していると、30代からは開発責任者としてキャリアを積んでいくに連れ、
他社から「開発組織の課題」の相談を受け始め、周りからも「そんな大変なことよくやるよね」と言われるような評価になりました。
現在では生成AIでは置き換えが難しいVPoEという役割が多くの企業で求められていると思い、だからこそ価値があると確信しています。
にしはら ちひろ ① 発表概要
エンジニアとして生き残るために必要なのは、最新技術を追い続ける圧倒的な才能や、洗練されたセンスだけでしょうか?
私はこれまでのキャリアの中で、結婚、出産、育児、そして予期せぬ癌治療という、人生の大きな転換点をいくつも経験してきました。一時はコードを書く手が止まり、キャリアの断絶に怯えたこともあります。しかし、そんな「人生の割り込み処理」を経て辿り着いたのは、「何があっても、ただ淡々とエンジニアを続ける」という、執着のない、しかし強固な「ニュートラル」なスタンスでした。
本セッションでは、特別な才能に頼らず、ライフイベントの荒波をどう受け流し、プロダクトエンジニアとして歩み続けてきたかを語ります。2026年という節目に、「いまから、ここから」再び歩き出すための、等身大の継続術をお伝えします。生き残ることに必死になるのをやめた時、逆に見えてきた「エンジニアで居続けること」の本質を共有します。
② 発表の詳細
本セッションの核心は、「エンジニアという職業を、人生の長距離走としてどう運用するか」という知恵の共有です。40歳を過ぎ、多くの「ままならないこと」を経験したからこそ見えた景色を、以下の構成で解き明かします。
「生存」のハードルを極限まで下げる
「常にトップランナーでなければならない」という強迫観念を捨て、低空飛行でも「打席に立ち続ける」ことを最優先したマインドセットについて。才能やセンスという言葉に踊らされず、自分だけの歩幅を守る技術を紐解きます。
人生の割り込み処理の実録とプロダクトへの還元
結婚・育児: 物理的な時間制約を「開発における制約条件」と再定義し、限られたリソースで最大成果を出すための思考プロセス。
癌治療: 治療による「キャリアの断絶」がリアルに迫った時、あえて仕事への執着を手放す(ニュートラルになる)ことで、逆に「モノづくり」が精神的な回復の拠り所となった逆説的な体験。
「継続」を支えるプロダクト思考
技術の流行り廃りに一喜一憂せず、自分自身のキャリアを「長期運用されるプロダクト」として捉える視点。結局、最後に現場に残っているのは「一番速い人」ではなく「辞めなかった人」であるという事実を、実体験ベースで提示します。
2026年、いまから、ここから
数々の喪失と獲得を経て、40代になった今が一番「プロダクトづくりが楽しい」と言える理由。若手や同世代に伝えたい、しなやかな適応力について。
【話さないこと】
・ 特定の技術スタックの詳細解説
・ お涙頂戴な闘病記(あくまでエンジニアとしての生存戦略にフォーカスします)
③ 想定する聴衆とその人たちが得られるもの
【想定する聴衆】
・ ライフイベント(育児・介護・病気等)とキャリアの両立に不安を感じている方
・ 「技術トレンドを追いきれない」というプレッシャーに疲弊している中堅・ベテラン
・ エンジニアを一生の仕事にしたいが、自分の才能に自信が持てない方
【得られるもの】
・ 完璧主義を捨て、自分のペースでキャリアを継続するための具体的なマインドセット
・ 人生の大きな変化や制約を「前提条件」として受け入れ、エンジニアを辞めずに運用し続ける考え方
・ 「続けてさえいれば、なんとかなる」という、根拠のある自信と勇気
④ なぜあなたがこのトピックについて話すのか
私は、20年近いキャリアの中で、結婚、出産、育児、そして癌治療という、一般的に「キャリアの足枷」になり得る出来事をすべて経験しながら、今も現役のプロダクトエンジニアとして仕事を続けています。
昨年に受けたインタビュー( https://life.job-draft.jp/2025/07/31/1015/ )を通じて改めて自身の歩みを棚卸しした際、私を救ったのはスキルやセンスではなく、「どんな状況下でも、ニュートラルな状態で、ただ淡々と継続してきたこと」だったと痛感しました。
この「執着しない継続」こそが、変化の激しい現代における最強の生存戦略であると確信しています。2026年、不確実な未来を前に立ち止まりそうな仲間たちに、私の経験を「一つの動作サンプル」として提示したい。その一心で、このお話が出来たら嬉しいと考えています。
ありす ゆう 子供が憧れるような華々しい仕事でもなく、
大人が「昔はすごかった」と懐かしがるような経歴でもありません。
でも振り返ると、エンジニアとして生きてきた道には結構いいとこがあったと思っています。
振り出しのゲーム会社で部署廃止、その次はベンチャーの解散に巻き込まれ、
職種の名前もよくわからないまま、プログラマが情シスの真似ごとを始めました。
そこで触れたネットワークやサーバ、メールの基礎に救われ、2度目のゲーム業界へ。
再び事業撤退に会うも、世界の外に出たことで活路が見え、異業種の製造業へ転身し、
気づけば50代の今もエンジニアとして手を動かしています。
スターじゃなくても、エンジニアとして、未来への旅は続けられます。
特別な才能や計画がなくても、エンジニアであり続けられたということ。
それは、他人の評価ではなく、自分の評価軸でエンジニアであり続けたという話です。
私のキャリアには、いわゆる、キラキラした瞬間はありません。
ゲーム業界では二度、事業撤退に巻き込まれ、
音楽配信ベンチャーは入社3か月で解散。
ITの世界で、エンジニアであり続けようとした私がどのように歩いてきたのか。
音楽配信ベンチャーが解散したのち、その出資元企業に拾われ、情シス、という名称も知らぬま、その真似ごとを始めます。
それは、ベンチャーでR&Dに集中していればよかった数か月とは、別のものでした。
情シスとして、ネットワーク、サーバの関連技術、調達、通信会社との付き合い方など、それまでは全く異なる
業務に触れたことが、その後のキャリアの軸となります。
それが2度目の、オンラインゲームのサーバインフラ担当として、ゲーム業界に戻ることを可能としました。
ですが、ここでもまた、事業撤退で再度情シスへの転身をすることとなりました。
このときも、情シスの経験と知識で、社内転職が可能となりました。
その後、ゲーム関連事業再開の目が見えないことから、ゲーム業界への再度の転職を目指しました。
ですが、それは果たせず、製造業の情シスとして、再び世界の外に出ることとなりました。
ここでも、転職の助けとなったのは、サーバ、ネットワークの設計構築運用といった、地味な知識でした。
そこで、現役の情シスとして業務を続けています。
このように、私は、特別な肩書があったわけでも、計画的にキャリアを積んだわけでもありません。
子供が憧れる華々しさも、大人が昔話にするようなドラマもない。
ただ、その場その場で必要なことを覚えることで、それなりに山も谷もあった道を、歩き続けてきました。
本セッションでは、自分はスターになれない、そう感じている若手に、
それでも旅は続けられるという、とても普通で、とても静かな事実を
共有したいと思います。
見えている世界がすべてではなく、その外にも活路があること。
名声や派手さがなくても、エンジニアとして十分に生きていけること。
そして、スターじゃなくても結構いい人生になる可能性があること。
エンジニアとしての旅は、これからも未来へと続くこと。
そんな話をします。
・10年後、20年後、自分はエンジニアでいるのだろうか、どうすればエンジニアでいられるのか、という
漠然とした疑問や不安を持つ、特別な成功譚はなくても日々の業務に勤しむ、普通のエンジニア
・スターでなくてもキャリアを続けられる具体例
・業界の外に活路があるという視野の広がり
・抽象度の高い基盤技術の価値
・エンジニア人生に、結構いいとこを見つける視点
いままで技術者でありつづけ、これからも技術者であり続ける。
それを当然のことだと思っていました。
ですが、それは、実際には当たり前ではなかったのかもしれない。
きのこカンファレンスの存在がそれを示しているのではないか、そう思い、
未来に向けて、ただエンジニアであり続ける人生についてお話しできればと考えました。
桝田 草一 アクセシビリティスペシャリストという職種は、日本ではまだ十分に確立されているとは言えません。デジタルプロダクトを、障害の有無にかかわらず使えるようにする専門家です。日本では職種としての定義や求人も多くはありません。それでも筆者は、フロントエンドエンジニアからUIデザイナーを経て、もともと関心のあったアクセシビリティの領域で活動を続けてきました。
アクセシビリティは社会的に「正しい」とされやすい領域です。しかし、専門職として成立するためには、正しさを超えた価値の提示が必要でした。「好き」や「正しさ」だけでは、組織の中で役割は自然には広がりません。
本セッションでは、好きな領域を専門職として形にしていく中で、どのように動き方を変えてきたのかを共有します。手元の品質改善から始まり、組織の基準づくりや戦略レイヤーへと関わり方が広がっていった過程。その中で見えてきた判断の軸や、もっと早く意識しておけばよかったと感じている点。そして、作れることが価値の源泉であるがゆえに、次のフェーズへ進むことに生まれる葛藤についても触れます。
好きという主観から出発し、それを組織の中で価値として扱ってもらえる形へと広げていく。その試行錯誤のログをもとに、再現可能な行動のヒントをお伝えします。
本セッションは3つのパートで構成します。
第1パートでは、「好き」を専門職に近づけていく中で見えてきた視点を整理します。アクセシビリティの知識や熱意だけではキャリアとしては成立しにくい現状を共有したうえで、どのような価値の出し方が求められるのかを具体的にお話しします。土台となる開発スキル、組織にとっての意味づけ、そして信頼の積み重ね。好きという動機を出発点に、アクセシビリティの価値を組織にとって意味のある形へと翻訳していく考え方を整理します。
第2パートでは、筆者自身の実践の道筋を紹介します。初期は手元の品質向上に集中し、開発者として信頼を得ることに力を注ぎました。その後、属人的なレビューから脱却し、組織の基準策定や教育の仕組みづくりへと関わり方が変わっていきます。さらに、一人では解けない規模の課題を扱うようになり、複数チームへのアドバイザリーや戦略立案へと関わる中で、品質と開発スピードの両立といった、より広い視点が求められるようになりました。扱う課題のスケールが変わることで、自然と動き方も更新されていきました。
第3パートでは、今後の展望に触れます。アクセシビリティの社会的重要性は広く認識されるようになり、法制度の変化によって組織内での位置づけも変わりつつあります。一方で、AIの進化は実践のあり方そのものを更新しています。こうした環境変化の中で、専門職としてどのように価値を発揮していくのか。確立途上の領域だからこそ、動き方次第で役割を広げられる余地があります。その可能性を考えます。
これらのパートを通じて、好きという動機から出発し、価値のレイヤーを更新し続けてきた動き方を整理します。
想定する聴衆は、自分の「好き」や専門性の芽を持ちながらも、それをキャリアの軸にできるのか迷っている方です。マネジメント以外の道を模索している方や、特定領域を強みにしたいと考えている方に聞いてほしいセッションです。
得られるもの:
アクセシビリティの社会的重要性は広く認識されるようになり、法制度の変化によって組織内での位置づけも変わりつつあります。一方で、AIの進化は実践のあり方そのものを更新しています。
しかし、その重要性や正しさが認識されることと、専門職として成立することは別の問題です。アクセシビリティは社会的に「正しい」とされやすい領域ですが、専門職として成立するためには、正しさを超えた価値の提示が必要でした。
私はフロントエンドエンジニア、UIデザイナーを経て、アクセシビリティ専門職を組織の中で形にしてきました。完成された戦略が最初からあったわけではありません。扱う課題のスケールを変え、フットワーク軽く関わりを広げ、仲間を探しながら、動き方を更新してきました。その探索の中で見えてきた判断の軸や動き方には、再現可能なパターンがあると感じています。
アクセシビリティに限らず、「好き」や善意を出発点にした専門性を、どのように組織の中で成立させていくのか。その問いに対する一つの実践ログとして、本セッションを共有します。
小泉岳人 ① 発表概要
「もう今さら、自分が動いたところで何が変わるんだろう?」
40代になり、仕事は安定し、大きな不満もない。
新しいことには興味がある。
けれど、今さら動く意味を感じられず、結局これまでと同じ選択を続けている。
私はウォーターフォール型のプロジェクトを約20年続け、
より大きな規模をマネジメントする道を正解だと思って歩んできました。
発信や社外活動に強い関心はなく、このまま組織の中でうまくやっていければよいと考えていました。
そんな中、アジャイルなど新しい働き方に触れ、社外の場に関わるようになったことで、少しずつ変化が起き始めます。最初に起きたのは大きな成果ではなく、考え方が揺らぎ、行動の選択肢が少し増えただけでした。
その小さな変化は、
社外で人と話すこと、
カンファレンスの感想を書くこと、
社内で学びの場をつくること、
といった形で現れ、やがてつながっていきました。
今では毎日ブログやVoicyで発信し、毎月のように社外登壇を行っています。
同時に、個人の変化を起点として毎日社内勉強会を行うコミュニティが立ち上がり、推進しているアジャイルは全社の経営計画にも組み込まれるようになりました。
本トークでは、「もう今さら」と思っている状態のままでも、自分の中に起きた小さな変化が、やがて自分や組織を動かしていく。そのプロセスとマインドセットを共有します。
② 発表の詳細
・40代、仕事は安定しているが変化は少ない
・困ってはいないが、どこかに残り続ける違和感
動けなかった頃の自分
・ウォーターフォール型プロジェクトを約20年経験
・規模を大きくするマネジメント路線を正解だと思っていた
・組織の中で「ちゃんとできる人」であり続ける選択
・新しいことに興味はあっても、失敗する理由がなかった
・「今さら失敗できない」「できない自分を見せたくない」という思考の固定化
アジャイルと社外の場
・案件失注をきっかけに、従来のやり方への違和感が顕在化
・アジャイルやクラウドネイティブへの関心
・社外コミュニティに足を運ぶ
・若い人たちのスピード感や前向きさへの尊敬
・有識者でい続けるより、「試している側」の方が楽しいと気づく
小さな変化が起きた瞬間
・いきなり何かができたわけではない
・調べる、話を聞くだけの時間が続く
・書こうとして書かなかったブログや、何もしなかった時間もあった
・「発信が大事なのは分かる。でも感想くらいなら書ける」
・たいした内容でなくても、コミュニティの人が喜んでくれる
→ 発信そのものではなく、「動いても大丈夫」という感覚が生まれた
変化は形を変えてつながっていく
・発信への怖さが下がる
・社外で話す機会が増える
・社内でも「学びの場をつくってみよう」と思えるようになる
・毎日の勉強会という形で、社内コミュニティが立ち上がる
・個人の変化が、結果として組織の変化につながる
※発信は、たまたま私にとって現れた形の一つでした。 人によっては、「人をつなぐ」「場を支える」「学び続ける」 という形で現れるかもしれません。
③ 想定する聴衆と得られるもの
<想定する聴衆>
・新しいことに興味はあるが、「もう今さら」と感じて動けていない人
・自分が変わることが、組織を変えることにつながる実感を持てていない人
・40代前後のエンジニア・中間管理職
<得られるもの>
・「もう今さら」と思っている状態のままでも、最初の一歩を踏み出すためのやり方とマインドセット
・すぐに動けなくてもよい/結果が出なくてもよいという捉え方
・個人の小さな変化が、結果として組織の変化につながっていく視点
④ なぜこのトピックを話すのか
私は発信が得意だったわけでも、最初から組織を変えようとしていたわけでもありません。
動けない時間も含めて、自分の中の違和感を探究してきただけです。
その結果、変化は発信や登壇、社内コミュニティといった別々の形で現れ、後からつながっていきました。
この話ができるのは、「変わろうとして動けなかった時間」も含めて経験してきた当事者だからです。
同じように立ち止まっている人が、自分なりの変化の入口を見つけるきっかけになればと思い、このトピックを話します。
さわでぃー ①発表概要
「今はトップランナーを走っているが、自分のスキルはいつ陳腐化するのか。」
私は、Web業界に約四半世紀在籍する中で、私自身も含め様々な40代前後で発生する不調を見てきました。
この経験が問題意識となり、大学院に進学し修士論文として「新興産業における中年期の危機と克服プロセス」を研究しました。
約10名への質的調査とM-GTA(修正版グラウンデッド・セオリー・アプローチ)による分析によって、4段階で訪れる危機のプロセスが明らかになりました。
さらに技術陳腐化が早い業界では、この危機が短期間で繰り返されることが明らかになりました。
本セッションでは、それらの危機についての詳細と、その乗り越え方についてキャリアに引きつけて共有し、エンジニアが「この先生きのこる」ための実践的な知見としてお伝えします。
②発表の詳細
本セッションでは、まず研究の前提となる業界構造の話から始めます。1990年代後半からの劇的に変化した技術環境や、組織構造的な問題、そしてロールモデルの不在。これらは多くのエンジニアが在職する領域に共通する課題です。まずここから説明します。
次に、インタビューから見えた中年期の危機の実態を紹介します。研究からは、技術の陳腐化・キャリアパスの不透明さ・役割の不明確化という3つの危機要因が明らかになりました。インタビューを通じて見えてきた「技術の更新」だけでなく「役割の再定義」を通じた危機を乗り越えるヒントをお話しします。
そして分析から導かれた4段階の克服プロセスを共有します。「潜在的危機期→危機顕在化期→再構築準備期→再構築期」というプロセスの中で、特に「再構築準備期」には特徴的な「なべ底」状の停滞期間が存在し、この時期に新技術の習得や役割の模索が集中的に行われることがわかりました。この停滞は後退ではなく、次のステージへの準備期間です。
最後に、危機克服を支える二重の支援構造について述べます。組織による面談や配置転換などの直接支援と、勉強会・カンファレンス・オンラインコミュニティなどの実践コミュニティ(コミュニティ・オブ・プラクティス)への参加が、相互に補完しながら危機克服を促進していました。まさに「きのこカンファレンス」のような場が、エンジニアのアイデンティティ再構築に重要な役割を果たしているのです。
20代・30代の参加者には「中年期に訪れる危機の正体と備え方」を、40代以上の参加者には「今まさに経験している困難の構造的理解と、そこからの道筋」を持ち帰っていただくことを目指します。
③想定する聴衆とその人たちが得られるもの
想定する聴衆
・40代以上のエンジニアで、技術変化やキャリアの先行きに漠然とした不安を感じている方
・20〜30代のエンジニアで、将来のキャリアについて考え始めている方
・チームリーダーやマネージャーで、中堅・ベテランメンバーの支援に課題を感じている方
得られるもの※例
・中年期に訪れるアイデンティティ危機の構造的理解(「自分だけの問題ではない」という安心感)
・危機克服の4段階プロセスという見取り図(今自分がどの段階にいるかの自己認識)
・実践コミュニティの参加が危機克服に有効であるという研究的裏付け
・組織として中堅・ベテランを支援するための方向性
④なぜあなたがこのトピックについて話すのか
私はWeb業界で25年、エンジニアとともに制作現場を歩んできました(私自身は非エンジニアです)。新卒は別業界でしたが2社目のSIer企業を経て、現在は制作会社の代表として、デジタル化支援に舵を切る中でエンジニア組織のマネジメントに日々向き合っています。
40歳の頃、自分自身が深刻なアイデンティティの危機に直面しました。急速な技術変化、ロールモデルの不在、プライベートの変化が重なり、「自分はこの先何者なのか」がわからなくなったのです。
この当事者経験を出発点に、研究に取り組み、2025年3月に修士課程を修了しました。「個人的な苦悩」だと思っていたものが、実は「新興産業に共通する構造的課題」であったことを研究で明らかにできたことは、大きな発見でした。
まさに本カンファレンスのテーマ「FUTURE 〜いまから、ここから〜」に重なる、修士課程で得た知見を、当事者・経営者・研究者という3つの視点からお伝えできると考えています。
井上大輔 【発表概要】
私がエンジニアからビジネスサイド職種へ転身したのが10年前。様々な経験をし、昨年再びソフトウェアエンジニアに戻ってきました。
技術とビジネス、軸足はどちらにあるのか。一見するとどっちつかずかもしませんが、私には「この経験があるからこそ問題に感じること」と「その問題に届く道筋」が見えています。その道筋とは“CRE - Customer Reliability Engineering”です。“SRE”についてはすでに普遍的な一技術として確立されていますが、CREについてはその“業界標準”は未だ存在していないと認識しています。
様々な経験があるからこそ発揮できる“技術としてのCRE”を、多様な経験をしてきた一人として、「業界における普遍的なキャリアにする」「私と同じような人々にとって新たな選択肢をつくる」というチャレンジに、私は今取り組んでいます。AIがコードを書くのが当たり前になっている「未来」における、“普遍的なキャリアとしてのCRE” とは何か。私の考えをお話しします。
【発表詳細】
私がビジネスサイドで歩んだ9年間のキャリアでは、セールス、カスタマーサクセス(CS)、製品スペシャリストなど、複数の職種を経験しました。
この変遷の中で、私は「CRE - Customer Reliability Engineer」という職種の立ち上げにも携わり、多くの成果を挙げられた一方で、「自分は事業に貢献できているのか」「CREとしての専門性とは何か」といった不安も感じていました。
加えて、「Customer Reliability(顧客信頼性)」の対象と範囲は何か? という難問がありました。プロダクト提供者側の一員として、私たちが守るべき “顧客信頼” とは何なのか。自問自答する日々が続きました。
その後のビジネスサイド職種での業務において、以下のような経験をしました。
・商談の段階によって「営業からCS」などのような形でお客様の担当者が変わることがあるが、そこでの情報伝達の不備は顧客体験を損なう原因になる(例: 「前の担当者には、自分が直面している課題を伝えたのに…」)
・営業やCSは、一人が多くの顧客を担当しており、過負荷な状況が常態化
・お客様に相対する担当者の対応内容や質、速度などが、お客様がプロダクトに対して抱く信頼を大きく左右する
一般的に、現在のCREの文脈での「顧客信頼」の対象としては、「障害の少なさ」「使いやすさ」といった「システムの信頼性」に関するものが多いように感じています。
もちろんこれらも大事な要素ですが、お客様からの信頼は“プロダクトそのもの”だけで作られるものではありません。前述の通り、「担当者による対応も、お客様からの信頼に大きく影響する」ものであり、そう考えると、「“人が人へ”提供する各種サービス」も含めて「プロダクト」であると言えないでしょうか。真に顧客信頼を追求するのであれば、そうしたものもコントロールの対象とする必要があるはずです。
つまり、「この業界における普遍的な CREing - Customer Reliability Engineering」とは、「広義のプロダクトに対しての、お客様からの信頼の保全と向上に寄与する技術」であると考えています。だとすると、多様な経験をしてきた人こそ「顧客信頼への感度」が高く、効果的に“技術”を発揮し、活躍もできるはずです。
このセッションでは「企業や事業の違いに依らないCREing」について、現時点での私の考えを話します。その道筋は、ぼんやりとは見えていますが確立までには道半ばです。きのこカンファレンスの場で私の考えをお話しつつも、皆さんからのフィードバックも得て、未来に向けて確固なものにしていけたら嬉しいです。
【想定聴衆・得られるもの】
◎想定聴衆
・開発/biz問わず、幅広く様々な経験をしてきた方。その経験を生かしたブレークスルーを求めている方
・事業に貢献し得る技術力の発揮の仕方を模索されている方
◎得られるもの
・多様な経験の生かし方のヒントや視点、新たなキャリアの一つの姿
・あなたの技術力をどのような場面で・どんな人たちが必要としているのか
【なぜこのトピックについて話すのか】
私は約10年間、エンジニアを経験したのちに、キャリアのブレークスルーを求め、いわゆるビジネスサイドと呼ばれる職種にキャリアチェンジしました。
また、エンジニアとビジネスサイド職種としての経験を活かせる新しい職種を立ち上げるだけでなく、そこで困難にぶつかるということもまた実際に経験しました。
そんな自分だからこそ見えていることを、実体験をもとにお話できる・それによって前向きな気持ちになれる方がきっといる、と考えたため、今回応募したいと考えました。
bash わたし自身が「雇用不安」をなんとか生きてきたキーが「自己責任思考」でした。この環境・時代・他者などの外部要因を嘆かず、ひたすらに「自己責任」を自らに課し続けてきました。
これは、自分を殺して滅私奉公することを肯定するものでも、孤立を推奨するものでもありません。「コントロール可能な変数(自分)」と「不可能な定数(環境)」を極限まで選別し、自分という変数を書き換えることだけにリソースを注ぐ、生存のためのアルゴリズムです。
とはいえ、自己責任は万能ではなく、行き過ぎには弊害があります。
本セッションでは、私が長年意識的・無意識的に実践してきたこの思考法から「生存に必要な旨み」のみを抽出し、日々のメンタルマネジメントに使える「エクササイズ」として共有します。
2009/11/18 日本経済新聞の夕刊に らいふプラス-雇用不安を働く(下) という記事が掲載されました。リーマンショック下、キャリアパスどころか明日の糧への不安を抱え、IT勉強会に通うエンジニアの話。わたしはそのモデルの一人でした。
しかし、わたしの不安はそのもっと前から、常に傍らにありました。
そして2026年現在。私はまだ、エンジニアとして生きています。
この約30年に及ぶ「雇用不安」をサバイブできたのは、運が良かっただけでも、卓越した技術力の持ち主だったわけでもありません。不安とともに持ち続け、耐え続けてきた「自己責任思考」によるものです。環境・時代・他者などの外部要因を嘆かず、ひたすらに「自己責任」を自らに課し続けてきました。
これは、自分を殺して滅私奉公することを肯定するものでも、孤立を推奨するものでもありません。「コントロール可能な変数(自分)」と「不可能な定数(環境)」を極限まで選別し、自分という変数を書き換えることだけにリソースを注ぐ、生存のためのアルゴリズムです。
とはいえ、自己責任は万能ではなく、行き過ぎには弊害があります。本セッションでは、私が長年意識的・無意識的に実践してきたこの思考法から「生存に必要な旨み」のみを抽出し、日々のメンタルマネジメントに使える「エクササイズ」として共有します。
以下のような複数の手法から構成します。
「漠然とした不安」は対処不能だが、「名前のついた課題」は解決できる。負の感情を要素分解し、ハンドリング可能なタスクに落とし込む技法。
ときに他者の言動や反応に理不尽を感じることがあります。それを意味不明、なんでやと謎として扱わず、その背景となった「合理性」をプロファイリングし、予測モデルを構築する。
ニーバーの祈りをもとに、変えられないもの(他社の考えや行動、景気)と、変えられるもの(自分の判断、行動、仕事)を冷静に仕分け、全リソースを後者に振る。
組織の境界線に落ちているボール(誰もやりたがらない仕事)を、皆のためにも自分のためにも有用な「案件」として獲得するムーブを意識的に行う。
想定聴衆は以下のような、不安な気持ちを抱えている方です。
得られるものは以下の事柄です
昨年の秋に、現職勤務12年・年齢45歳という自分なりに大きな節目を迎えました。そこで今までの人生を振り返ると、雇用不安の意識とともに、強烈に「自己責任」な考えを過度に持っている・持ってしまっていることに気がつきました。
負の側面もある考え方ですので、これからはよい側面を健全に自分自身も持ちたいし、わたしを救ってくれたコミュニティーにも恩送りしたいと考えたためです。
ガオリュウ 1.発表概要
会社は、思っている以上に変わります。
事務所の閉鎖、親会社への吸収、給料未払い、事業譲渡、100人規模の希望退職。IT業界で働く中で、私が体験してきた組織の大きな変化です。
組織の方針は個人ではコントロールできません。その変化の中で、社外コミュニティでエンジニア同士が話し合う場づくりに出会います。そこで「うちの会社で教える側になってよ」と誘われました。自分では仕事とは別の活動として続けていた実践が、誰かの目には仕事の価値として映っていた。そのとき、自分の軸に気づかされました。
軸は意識してつくるものというより、実践の中で形づくられていくものなのかもしれません。組織が揺らぐ時代に、私がどのように在り方を選び続けてきたのかをお話しします。
2.発表の詳細
会社は、思っている以上に変わります。
事務所の閉鎖、親会社への吸収、給料未払い、事業譲渡、100人規模の希望退職。IT業界で働く中で、私は何度も組織の大きな変化に立ち会ってきました。
振り返ると、原体験はもっと前にあります。小学5年生のとき、東京から奈良へ転校しました。子どもにとっては地殻変動のような出来事で、自分ではどうにもならない環境の変化でした。言葉や文化の違いの中で、ただ必死にきのこるしかなかった。その経験は、今もどこかに残っています。
だからか、転校生には自然と目が向きます。転職してきた人のオンボーディングを丁寧に行うのも、同じ感覚からだと思います。
組織の方針は個人ではコントロールできません。十分な準備もないまま新人が現場に送り出されることもあります。知見のない状態で大きな変化にさらされれば、本人にはどうにも抗えない状況が生まれる。その姿を見るたびに、不条理さややるせなさを感じてきました。
私なりの「きのこる術」は、向き合う相手やチームの“望み”を見つけることです。そしてそれを、研修や学び、ワークショップという形にして渡すこと。変化の波の中でも、自分で考え、選び、支え合える力を育てる場をつくる。それが、私が選んできた在り方です。
社外コミュニティでエンジニア同士が話し合う場づくりに関わる中で、「うちの会社で教える側になってよ」と声をかけられました。自分では仕事とは別の活動として続けていた実践が、誰かの目には仕事の価値として映っていた。そのとき、自分の軸に気づかされました。
軸は、意識してつくるものというより、実践の中で形づくられていくものなのかもしれません。そしてその軸は、自分を守るためだけでなく、誰かを支える中で育っていくのだと思います。
「きのこる」とは、自分が生きのこることだけでしょうか。私の今は、これまでに受け取ってきた恩送りの積み重ねでできています。その恩送りは、特定の誰かに返すものではなく、次の誰かへと渡されていくものだと思っています。
それは、同僚でもいい。部下でもいい。今日この会場で偶然隣に座っているその人でもいい。
組織が揺れ続ける時代だからこそ、あなたのそばにいる誰かを支える側に立つ。その選択が、やがてまた別の誰かを支える力になっていく。私は、そう信じています。
3.想定する聴衆とその人たちが得られるもの
想定する聴衆
・組織の変動や方針転換に揺れているエンジニア
・部下や後輩を持つ立場にいる中堅〜ベテラン層
・自分の軸をどう育てればよいか模索している人
得られるもの
・「きのこる」の意味を自分なりに再定義する視点
・軸は意図してつくるのではなく、実践の中で形づくられるという実感
・自分が生きのこるだけでなく、誰かを支える側に立つという選択肢
4.なぜこのトピックについて話したいのか
私はこれまで、組織の大きな変動に何度も直面してきました。その中で、自分自身がどう生きのこるか以上に、準備の整っていない後輩や仲間が理不尽にさらされる状況にやるせなさを感じてきました。
その経験と、転校という原体験が重なり、支える側に立つことを選びました。私の今は、多くの人から受け取ってきた恩送りでできています。だからこそ、その恩送りを次に渡していきたい。
きのこる時代だからこそ、誰かのそばに立つ。その在り方について、話したいと思いました。
木達一仁 ①発表概要(400字程度)
私は、22年前にエンジニアとして入社したWeb制作会社で現在、役員を務めています。
技術スキルにもマネジメント能力にも優れていたわけではない私が、なぜ同じ組織で、そして変化の激しい業界で、20年以上にわたり生き残れたのでしょうか?
考えられる理由の1つは、プロが創るWebサイトの「ありたい姿」のPR活動を通じて、組織のブランド構築や変革、ひいては経営に携わる機会に恵まれたことです。
日本広報学会が2023年、「広報」を経営機能として定義したように、PR活動には経営の実践という側面があります。そして私はPR活動に、思い描いたWebサイトの理想像に、Webの力で社会をより良くしたいという願いを込めたことで、社内外から共感と支持をいただけました。
エンジニアが生き残るためのいちアイデアとして、広報・PRに携わることの意義と可能性を、私の実践例を通じてお伝えしたいと思います。
②発表の詳細(1000字程度)
プロが創るWebサイトの「ありたい姿」として、具体的に私がどのような品質、非機能要件に取り組んできたかを、時系列に沿ってご紹介します。
主な話題:Web標準準拠 / Webアクセシビリティ / レスポンシブWebデザイン / 表示パフォーマンスの向上 / サステナブルWebデザイン
上述のWeb品質について、どのような媒体を通じてPRしてきたか、その事例をかいつまんでご紹介します。
主な話題:コーポレートサイトでの発信(コラム、Blog、Podcasting、Videocasting)/ 社外向けセミナーでの登壇 / 社外イベントでの登壇 / 海外書籍の日本語版の監訳・監修
PRというと、一般に組織外への影響・効果に注目しがちですが、組織内への影響も小さくありません。PR活動に自ら取り組んだからこそ実現できた組織変革について、ご紹介します。
主な話題:PRがもつ「ブーメラン効果」/ 組織横断的な取り組み(横串活動)の強化 / 制作物の「当たり前品質」の向上 / 品質管理の進化 / 品質で選ばれるためのブランド形成
広報をより体系的に学ぶべく通った大学院での気づきや、日本広報学会の発表した「広報」の新定義を紹介しながら、PRと経営、社会の関わりについてまとめます。
主な話題:大学院や資格取得を通じての学び / 日本広報学会による定義の紹介 / 社会・業界・組織を同軸化することの重要性
個人の、あるいは組織の生き残り戦略として、エンジニアが積極的に広報・PRに取り組むことをオススメしたく、メッセージをお伝えします。
主な話題:エンジニアがPRに携わる意義と可能性 / (生き残りにとどまらない)社会貢献を目指して
③想定する聴衆とその人たちが得られるもの
・広報やPRの必要性、重要性がピンとこない若手のエンジニア
・短期的な売上に直結しない広報・PRに意義を見出せない経営層
・技術のわかるエンジニア自ら広報・PRに携わることの意義・可能性
・広報・PRが組織のブランド形成や変革に貢献し得ることへの気づき
④なぜあなたがこのトピックについて話すのか
Blog記事の執筆といった情報発信が、エンジニアにとって有用というお話は、比較的よく目にします。そのいっぽう、広報・PRという経営機能をエンジニアが担うことの可能性については、「技術広報」という言葉の定着した昨今においても、あまり語られていないように感じます。
私は半ば無意識に、半ば偶然からPR活動に取り組み、結果として(現在は非エンジニアではありますが)生き残ることができました。若い皆さんには、ぜひ積極的に情報発信、そしてPR活動に挑戦していただきたく、私という事例をご紹介できればと思います。
Masaru Ogura ①発表概要
ススキノのキャバクラから未経験でITエンジニアへ転身して約20年。現在はAWSトレーニング講師、AWS Top Engineers(2023、2024年)、AWS Ambassadors(2024年〜)に選出され、『AWS運用入門』を出版するまでになりました。
この20年間、常に危機感を持ち続けてきました。なりたての頃は自分より若い人のほうができることへの焦り、最近では新技術のキャッチアップが追いつかない不安。この危機感が成長の原動力でした。
未経験から現在に至るまで実践してきた3つのことをお話しします。1つ目はIT系資格取得によるIT基礎の学習、2つ目は社外勉強会への参加・登壇、3つ目はSNSの活用です。これからスキルアップを目指す方への参考になれば幸いです。
②発表の詳細
IT系資格取得によるIT基礎の学習
28歳で未経験からネットワークエンジニアになったときは危機感がありました。当然ですが、情報系の大学を出ている新卒入社の人よりも知識や経験が不足していました。まずはIT基礎の資格取得を通じて、基礎知識の向上を図りました。その結果、難度の高い案件にアサインされ、さらなる成
長につながりました。
現在でも、何かを学習する際にIT基礎知識は必要になるため、最初に資格を通じて体系的に学習したことが良かったと考えています。
取得した資格:CCNP、LPIC 301/302、IPA (基本情報、応用情報、テクニカルエンジニア(ネットワーク)、情報セキュリティアドミニストレータ)、AWSは全冠 など
社外勉強会への参加・登壇
2008年頃には、当時所属していた会社の中でトップレベルのエンジニアになっていました。正直、この時はエンジニアって大したことないんだなと思うようになっていました。自身の成長のためセミナーには参加していましたが、たまたまSNSで有志が開催している勉強会があることを知り、参加してみました。参加しているエンジニアと会話すると、私が知らないことをたくさん知っていて、自分は大したことないと痛感し、ここでも危機感を覚えました。
それから様々な社外勉強会に参加するようになり、他社エンジニアと情報交換をして現在の流行やトラブルなどを知り、業務に活かしていました。ただ、直接エンジニアと話さずに登壇内容を聞くだけでも、他社の事例や新たな使い方を知る機会になるため、参加するだけでも価値があると思います。
また、登壇することで自身の理解を整理でき、フィードバックをもらえる可能性があります。もしかしたら自身の理解に誤りがあり、それに気づくことができるかもしれません。
SNSの活用
社外勉強会へ頻繁に参加していた当時は関東に住んでいたため、エンジニアと直接会って話すことが多かったのですが、現在は札幌に住んでおり直接会う機会が少なくなったため、SNSを活用するようになりました。SNSで様々なエンジニアをフォローし、どのような技術が流行っているのかなどの情報収集をしています。
首都圏に住んでいなくても、SNSを活用することで最新情報を収集できています。また、SNSにアウトプットすることで自身の理解を深めることにも活用しています。
1つのことを1回やって終わりではなく、これら3つのことを継続して実施することでスキルを向上し続けることができていると考えています。
③想定する聴衆とその人たちが得られるもの
未経験でエンジニアを目指す人
スキルアップに近道はなく、なかなか効果を感じられないかもしれませんが、少しずつでも学習を継続することで大きな効果が得られるということを私自身が実証しています。
社外勉強会への参加に迷っている人
私は社外勉強会から危機感と刺激を受けました。最近は社外勉強会が数多く開催されているため、興味のある勉強会を探して参加することは難しくありませんし、怖い場所でもありません。まずは登壇内容を聞きに行くだけでも構いません。
④なぜあなたがこのトピックについて話すのか
私は20年前に未経験でエンジニアになりましたが、現在でもエンジニアを目指す人は多いように感じます。技術的な内容を理解できず苦労することはよくありますが、時間をかけて学習を継続することで必ず理解できるようになります。私の経験をお話しすることで皆さんの今後の参考になればと考えています。
榎本 陽祐 ① 発表概要
「このまま実装を極めるか、マネジメントに専念するか」。30代から40代にかけて、エンジニアは常にこの二択の境界線で自身の未来を問い直されます。
私も20年のキャリアの中で、1人目のエンジニアや開発責任者を経験し、常に「この先生きのこる」ための最適解を探してきました。
辿り着いたのは、技術への情熱を維持したまま、エンジニアリング思考を「組織という巨大なシステム」に適用するDevHR(Developer's HR)という道です。
これは現場を退くことではなく、人や感情という不確定要素を含む組織をハックし、事業成長の蓋然性を高める「攻め」の転身です。
本セッションでは、私がなぜ40代でキャリアをDevHRに「Bet」したのか。
その背景にあった葛藤と、技術知見を組織運営に再投資することで見えてきた、40代以降のエンジニアが主体的に未来を切り拓くための生存戦略を共有します。
② 発表の詳細
「いまから、ここから」未来に向けてどうキャリアをアップデートすべきか、自身の体験に基づき詳述します。
40代で見つけた組織という未解決課題の存在
開発責任者として事業に向き合う中で痛感したのは、「事業成長を阻むボトルネックは、コードだけではなく組織にもある」という事実でした。
人が足りないことで生まれる機会損失や、逆に組織の肥大化がコミュニケーションコストを増大させる。
これまでのエンジニアとしての課題解決能力(型)を、この「最も難解なシステム課題」に適用することこそが、私にとっての新たな挑戦であり、キャリアのレバレッジになると感じた経緯をお話しします。
エンジニアリング思考を再定義し、組織へ応用する
DevHRへの転身は、技術を手離すことではありません。
そこには組織をエンジニアリングの対象として捉え、技術・経験をフル活用する道がありました。
例えば
・ オブザーバビリティ: 採用広報から内定承諾までを「デリバリーパイプライン」と捉え、各フェーズのコンバージョンを計測。勘と経験に頼らない組織改善のフローを構築する。
・ 自動化と最適化: AIやLLMを駆使し、採用オペレーションをハックして「世界一オペレーションエクセレンスを追求する組織」を構築する。
これらは、技術者としてのバックグラウンドがあってこそ可能な「HRを通じたエンジニアリング」の一つです。
「技術知見」という最強のドメイン知識を活かす
私が大切にしているのは、今もなお技術への興味を失わず、手を動かし続けることです。
DevHRの強みは、現場のエンジニアと同じ言語で話し、最新技術の動向や開発現場の「熱量」を正しく内外へ届けられることです。
技術スタックの多様化や、コミュニケーションコストの増大といった「成長痛」を予防・解決するには、技術への深い理解が不可欠です。
技術を捨てずに磨き続けることが、組織内外への「誠意」となり、組織のブランディングにおける最強の武器にもなるのです。
未来への再投資を通じた生存戦略の提示
これらを踏まえ、開発経験を「過去の遺産」として守るのではなく、HRという新たなフィールドに「再投資」することで、自らの市場価値を再定義します。
技術を諦めるような消極的な選択ではなく、技術を武器にして「事業を自ら動かすエンジン」へと自己をアップデートする新たな生存戦略を提案します。
③ 想定する聴衆とその人たちが得られるもの
【想定する聴衆】
・自身の強みを活かす「次の10年」を模索し、キャリアに迷いを感じているシニアエンジニア・EM
・技術は好きだが、採用や組織の課題にも興味があり、技術を捨てずに新たなキャリアを模索しているエンジニア
【得られるもの】
・DevHRという職種を通じた「技術力×組織力」という掛け算が、個人のキャリアといかに強固に結びつき、事業を加速させるかという希望と可能性の提示
・ソフトウェアの外にある課題をエンジニアリングによって解決可能な問題として捉え、論理的に解決するためのマインドセット。
④ なぜあなたがこのトピックについて話すのか
私は20年間、技術の最前線で「何を作るか」に向き合ってきました。
開発責任者として組織の成長痛を経験する中で、組織の在り方が事業の成否を分ける要素だとも感じています。
2025年末、私はその確信を形にするため、あえて1人目のDevHRとして自らのキャリアを大きくBetしました。
今まさに、技術者の視点で「組織というプロダクト」を磨き上げ、事業成長を加速させる手応えを感じています。
この「いまから、ここから」始まる挑戦の記録を共有することで、同じようにキャリアの岐路に立つ仲間たちに、技術を捨てずに生き残るための「新たな羅針盤」を提供したいと考えています。
さおりん ① 発表概要(約400字)
エンジニアとして働き続けていると、がむしゃらに長時間デスクに張り付く働き方が、年齢や経験とともに少しずつきつくなってきます。目の疲れ、集中力の低下、理由のわからない消耗感。それらは怠けや甘えではなく、身体や感情からのサインです。
しかし現場では、忙しいから、成果を出さなければならないから、という理由で、そうしたサインが置き去りにされたまま働き続けてしまうことが少なくありません。
ベテランだから無理をし続けられるわけでもないですし、若手だって同じはずです。
本セッションでは、エンジニア自身が自分の感情や身体の反応を「情報」として扱うことで、心身をすり減らさずに働き続ける視点を紹介します。
生きのこるために、まず自分を楽にしていい。「いまから」「ここから」始められる、持続可能な選択についてお話しします。
⸻
② 発表の詳細(約1000字)
エンジニアの現場では、正しさや効率を重視する文化が強く根付いています。設計の妥当性、レビューの指摘、改善の積み重ね。どれも重要である一方で、疲れや違和感、不安といった感情や身体のサインは、後回しにされがちです。
例えば、集中力が続かない、会議が終わるとどっと疲れる、なぜか判断が重く感じる。こうした状態に対して「まだ頑張れる」「気のせいだ」と自分を押し込めてしまうと、気づかないうちに心身に無理が溜まっていきます。その結果、仕事への意欲が下がったり、関係性がぎくしゃくしたり、長く続けること自体が難しくなってしまいます。
本セッションでは、感情や身体の反応を「コントロールすべきもの」ではなく、「判断材料のひとつ」として扱う視点を提示します。自分はいま疲れているのか、何に違和感を覚えているのか、どこで踏ん張りすぎているのか。それに気づけるようになると、無理を重ねる前に立ち止まったり、休み方や関わり方を選び直したりすることができます。
また、自分の状態に気づけるようになると、不思議と場の空気や他者の状態にも目が向くようになります。「なんだか重たい」「いつもと違う」という感覚を否定せずに扱うことで、関係性が少しずつ軽くなり、結果として仕事が進みやすくなる場面も多くあります。
感情や身体を扱うことは、楽をするためでも、弱さを正当化するためでもありません。それは、自分の状態を正確に把握し、無理のない判断を積み重ねていくための、実践的なスキルです。状態を無視したままでは、どれだけ正しい判断も継続できません。
未来に向けて新しい技術を学ぶ前に、まず「いまの自分の状態」に目を向ける。本セッションでは、エンジニア自身が壊れずに働き続けるための、現場に根ざした視点を共有します。
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③ 想定する聴衆と、その人たちが得られるもの
想定する聴衆
• 日々の業務を頑張っているエンジニア
• 忙しさや疲れを感じつつも、どう扱えばよいかわからない人
• 将来もエンジニアとして働き続けたいと考えている人
得られるもの
• 感情や身体のサインを無視しなくてよいという視点
• 自分の状態に気づくためのヒント
• 無理を重ねずに働き続けるための考え方
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④ なぜあなたがこのトピックについて話すのか
私自身、エンジニアやプロダクト開発に関わる現場で、正しさや成果を優先するあまり、自分や周囲の感情・身体のサインを後回しにしてきた経験があります。その結果、関係性が重くなったり、仕事そのものが続けにくくなったりする場面を多く見てきました。
そうした経験を通じて、エンジニアとして生きのこるためには、スキルや努力だけでなく、自分の状態を丁寧に扱う視点が欠かせないと感じています。本セッションでは、現場での実体験をもとに、「いまから」「ここから」始められる形で、その考え方を共有したいと考えています。
鈴木 優太郎 私は2009年からITエンジニアとしてキャリアを重ね、2016年6月からはフリーランスエンジニアとして活動してきました。
フリーランスとして約10年が経つ中で、キャリア初期やフリーランス初期の頃だけでなく、ここ数年においても、案件の中で担う責任や求められる判断の内容が変化してきたと感じています。
そうした経験を振り返る中で、ITエンジニアとしての仕事は、立場やフェーズが変わっても、本質的には課題解決に向き合い続けることなのではないか、と考えるようになりました。
10年という期間は、フリーランスエンジニアとして一定の試行錯誤を重ねてきた時間でもあり、その過程での考え方や変化には、同じような立場の方にとって参考になる点もあるのではないかと考えています。
本セッションでは、まさに40歳になった今考えていきたい視点を共有し、この先生きのこるうえで何が必要なのかをともに考えるきっかけを提供することを目的とします。
「課題解決」という観点から、案件や仕事の中で自分が担ってきた役割や判断の内容が、どのように変化してきたのかを整理します。
その振り返りを通じて、現在どのような点に課題を感じており、これからどのような立場で仕事と向き合っていこうとしているのかを整理します。
以下のような章立てでお話する予定です。
このセッションで話そうとしている内容は、確立された成功モデルや一般論ではなく、私自身が現在進行形で考えていることです。
フリーランスエンジニアとして約10年活動する中で、仕事を続けること自体はできるようになった一方で、その先でどのように関わり続けていくのかを考えるフェーズに入ったと感じています。
きのこカンファレンスは、技術やノウハウそのものだけでなく、エンジニアがどのように考え、どのようにキャリアや仕事と向き合っているのかを共有できる場だと考えています。
だからこそ、きのこカンファレンスの登壇対象である40歳になった自分が今まさに立っている地点や、答えを出しきれていない問いを含めて共有することに意味があると考えました。
この発表が、同じように立ち止まりながら次を考えている方々にとって、自身の状況を整理するための一つの材料になればと思い、このトピックでの登壇を希望しました。
mae616 ▪︎①発表概要(400字程度)
働ける時間、キャリア像、家族や生活、発信の仕方など、これまで当たり前だと思っていた前提が、いくつか同時に成り立たなくなった時期がありました。その中で、エンジニアとして何を続け、何を手放すのかを考え直す必要がありました。
本発表では、制約が増えた状態において、「完全にやめる」でも「無理に適応する」でもない選択肢を探してきた過程を共有します。正解や成功例を示すことを目的とするのではなく、前提が壊れたあとにどのように判断し、どのように組み替えてきたのか、その思考の置き方を振り返ります。
同じ状況でなくても、前提が変わったときに考え直すための材料として持ち帰ってもらえればと思います。
▪︎ ②発表の詳細(1000字程度)
この発表では、「ただ生きのこる」という言葉を手がかりに、前提が変わっていく中で考えてきたことをいくつか並べていきます。
ここで話すのは、後からきれいに整理した理論というより、そのときどきに考えていたことの記録に近いものです。
・働ける時間が前提にならなくなった
働ける時間や集中力が、以前と同じようには使えなくなりました。長時間働くことや、フルコミットを前提にした働き方が、自分にとっては難しくなっていきました。
その中で、「どこまでなら続けられるのか」「何を前提にしないことにするか」を、繰り返し考えていました。
・キャリア像が合わなくなった
キャリアについても、これまで思い描いていたロールモデルや進み方が、しっくりこなくなっていました。
昇進や役割の拡張を目標にするよりも、「無理をしないで判断できるか」「壊れにくい状態でいられるか」を基準に考えるようになっていきました。それが良かったのかどうかは、今もはっきりとは分かっていません。
・仕事と生活の前提がずれ始めた
家族や生活との関係も、考え直すきっかけになりました。
仕事を最優先にするよりも、余裕のある状態で人と関わりたいと感じるようになり、仕事側に求められる前提とのズレを意識する場面が増えていきました。
そのズレを解消するというより、ズレたまま成立させる方法を探していたように思います。
・一つに決めない働き方
そうした中で、エンジニアという肩書きや一つの働き方にこだわらず、複数の活動を並行して試すようになりました。
少ない時間でも続けられそうな形を探しながら、技術同人誌の制作や学び直しなどを行っています。結果としてどうなるのかは分かりませんが、今は試している途中です。
・技術やAIとの距離の取り方
後半では、AI などの技術との関わりについても触れます。
生産性を高めるためというより、短い時間でも思考や試行を続けるための補助として使ってきました。
流行に追いつくことよりも、自分の制約に合わせて距離感を取りながら使うことを意識しています。
・おわりに:答えを出さないまま続ける
この発表を通して、「前提が壊れたとき、すぐに答えを出さなくてもよいのではないか」「判断を保ちながら続けるとはどういうことか」を、一緒に考える余地を残せたらと思います。
▪︎ ③想定する聴衆とその人たちが得られるもの
本発表は、現在の働き方やキャリアに強い違和感を持っているエンジニアや、これまで前提としてきた条件が変わりつつあると感じている方を想定しています。病気や家族、生活環境の変化に限らず、長時間稼働や明確なキャリア像を前提にしづらくなっている方にも当てはまる内容です。
発表を通して得られるものは、具体的な解決策や成功事例ではありません。前提が崩れたときに、どのように考え直し、どのように判断を続けていくか、その思考の置き方や視点です。同じ選択を取る必要はなく、自分の状況に当てはめて考え直すための材料として持ち帰ってもらえることを意図しています。
▪︎ ④なぜあなたがこのトピックについて話すのか
私はこれまで、エンジニアとして働く中で、時間の使い方やキャリアの方向性、家族や生活との関係など、複数の前提が同時に成り立たなくなる経験をしてきました。その過程で、「元に戻す」ことや「理想に近づく」ことを目指すのではなく、自分にとって成立する前提を置き直す必要がありました。
本発表の内容は、後から整理した理論ではなく、その都度判断せざるを得なかった選択の積み重ねです。特別な成功例ではありませんが、前提が崩れた状態でも考え続け、続けるために試してきたことは、同じ状況に限らず、別の形で前提が変わった人にとっても参考になる部分があると考えています。そのため、自身の経験を振り返る形で、このトピックについてお話しします。