エンジニアがこの先生きのこるためのカンファレンス2026
通常セッション(20分)

エンジニアが生きのこることを考えると、エンジニアリングから遠ざかる話

hihats HISAHIRO TSUKAMOTO hihats
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1. 発表概要

この一年で、エージェントがさらに多くのコードを書くようになり、その割合はGitHub Copilot Statisticsによると50%近くになりました。当然の流れかもしれませんが「エンジニアがこの先生きのこるためにどうしたらいいか」の議論はさらに加速しているように見えます。

この状況だからこそ、私は「生き残ることを考えることに意味はない」と言い切ります。我々が憧れるような世の中を変えてきた技術はすべからく、「自身が生き残れるかどうか」とは真逆の観点から生まれてきました。それゆえになおさらエンジニアリングにはワクワクさせられるし、より知的に深く探求したくなるというものです。

生存戦略を語る気はさらさら無く、カンファレンスそのものを真っ向から否定するような内容を投げかけますが、この発表によりむしろカンファレンスの視座を一段引き上げることができ、参加者の認知資源配分の最適化に一役買えるはずです。

2. 発表の詳細

「エンジニアが生き残る」というコンテキストの中にはいくつかの問いが含まれています。

  • まずは「生き残らないといけない」という暗黙の前提、それは本当でしょうか?
  • そもそも「この市場が淘汰的である」というのも事実でしょうか?
  • また仮に、生き残るという状態が存在するとして、生き残りを考えること自体が長期的には競争の罠を強化していないか?
  • 「自分が生き残る」ということは「自分以外の誰かが生き残らない」ことを意味しないか?

既にお気づきかと思いますが、我々エンジニアが普段とても嫌っている、サイロ思考や局所最適、視野狭窄の影が見えます。もしかすると生存を脅かされることで、これらの罠に嵌ってしまっているのかもしれません。エンジニアリングからの微妙な逸脱の始まりです。
気づいたら、他者を競争相手と見なし、短期的に有利そうなスキルへ飛びつき、価値創造への集中力を失っている。技術は好奇心の対象ではなくなっている。

長い人類史を見ればわかるように、生存のための行動は短期適応であり、その勢力に抗ってコトを成し遂げてきた人が科学者であり、技術者でした。いま話している「エンジニアとして生き残ること」はどっちを指すのでしょうか?

問題を構造化し、制約の中でよりよい解を探り、他者と協働しながら価値を実装していく営みがエンジニアリングです。未来のポジションに不安を感じるのなら、むしろその不安をもたらす課題を深く理解し、より良い構造を作ろうとする行為に向かえばよいのではないか。 なんなら、ひょっとすると、そんな問題は最初から存在せず、虚構により防衛本能を刺激され、それによる心理的揺さぶりを利用されているだけかもしれません。少なくともエンジニアは怯えながらやるもんじゃない。楽しく課題解決をできるから続けてきてるんじゃなかったっけ?

本セッションでは、不安や恐怖に駆動されるキャリア思考がもたらす副作用を整理し、エンジニアリングの本質に立ち戻る視点を提示します。また昨今の「エンジニアはビジネスについて考えるべき」論への全肯定傾向にも警鐘を鳴らします。その後、最初の問いに立ち返っていくことで、聴いた方たちの霧が晴れていくことを目的としています。

3. 想定する聴衆

  • AI時代のキャリアに不安を感じているエンジニア
  • 「何を学べば安全か」を探し続けている人
  • 生存論に違和感を持ちつつ言語化できていない人
  • 組織の中でメンバーの不安に向き合っているリーダー層

    その人たちが得られるもの

  • 生存戦略というフレームを相対化する思考
  • エンジニアリングの本質に立ち戻る言語

4. なぜこのトピックについて話したいのか

私が大学でソフトウェア工学を学んでいた頃や、エンジニアとして仕事を始めた頃と比べると、確実にソフトウェアエンジニアの裾野は広がっていると感じます。そして、ソフトウェアエンジニアの絶対数が増えることは社会にとって有益であり、多くの可能性を秘めているという確信があります。それなのに、先を見ずに、足元のことばかり気にしている論調に身悶えしています。

もちろん人間には損失回避バイアスがあるので、どうしても不安に目がいきがちになるところはある。しかし、それを逆手にとってエンジニアの不安を無闇矢鱈に煽ることで自分たちの利益に転換するような喧伝に対しては真っ向から斬りあいたい。