近藤 賢志
skondo
転職とはキャリアアップである。
少なくとも、そう説明されることが多い。
エンジニアの世界では、「上に行く」ことが成長の証として語られてきた。
シニア、スタッフ、プリンシパル、そしてCTO。
しかしキャリアを重ねるにつれて、誰もがどこかで限界や天井の感覚と向き合うことになる。
それは本当に能力の問題なのだろうか。
努力で越えられる壁なのだろうか。
あるいは、運・機会・タイミングという別の要素なのか。
本セッションでは、転職活動を通じて見えてきた市場評価と自己評価のズレ、肩書きと実態の乖離、そして人生100年時代におけるキャリア観の誤解を軸に、
「諦め」を敗北ではなく再定義の契機として捉え、
「成熟」という別の視点からキャリアを問い直す。
多くのエンジニアは、キャリアを階段のように捉えがちです。経験を積み、スキルを磨き、より上位のポジションへ到達する。その延長線上にCTOやVPoEといった役職がある──少なくとも、そう説明されることが多い。この構図はあまりにも自然に共有され、疑う機会が少ないまま、私たちのキャリア観の土台になってきました。
しかし、転職市場や組織の現実は、その物語をいつも綺麗には支持しません。役職や評価は能力だけで決まるものではなく、企業のフェーズ、期待される役割、偶発的な機会、そしてタイミングに左右されます。努力は重要ですが、努力だけで同じ到達点に辿り着けるわけではありません。この不確実性は、スポーツ選手やアーティストのキャリアにも似ています。実力だけでは語れない要素が、確かに存在します。
さらに「人生100年時代」という言葉が、この幻想を静かに補強しているようにも見えます。就労期間が伸びる可能性はあっても、キャリアサイクルそのものが同じ割合で延長されるわけではありません。出世トラックの時間構造や、リーダー職に求められる適合条件が劇的に変わるわけでもない。むしろ伸びているのは、キャリアの“後”なのかもしれません。
そして自分を含め多くの人は、必ずしもトップになれないと悟った時に、どのように振る舞うべきなのかという問いと向き合うことになります。
「なれなかった自分」は失敗なのでしょうか。本セッションでは、市場評価と自己評価のズレ、能力神話の解体、肩書きと実態の乖離といった構造を丁寧に分解しながら、「諦め」を敗北ではなく再定義の契機として捉え直します。そして「成熟」という別のキャリアモデル──上昇の物語ではなく、役割と価値を更新していく物語──を提示します。
本セッションは成功論ではありません。むしろキャリアに潜む暗黙の前提をほどき、自分自身の評価軸を再設計するための思考材料を共有する試みです。
想定する聴衆
・30代以降のエンジニア
・キャリアの方向性や成長の定義に迷いを感じている人
・転職、評価、役職に対して葛藤や違和感を抱えている人
・キャリアアップという言葉に、うっすら疑問を持ち始めた人
・「このままでよいのか?」という感覚をどこかで経験した人
聴衆が得られるもの
・キャリアラダーや「上昇モデル」を相対化する視点
・市場評価と自己評価がズレる構造の理解
・能力だけでは語れないキャリア要因(役割適合・運・タイミング)の認識
・限界や天井意識と向き合うための思考フレーム
・「諦め」を敗北ではなく再定義として捉える視点
・「成熟」という別のキャリアモデルへの気づき
私はキャリアの後半に差し掛かってから転職を経験し、その過程で自己評価と市場評価のズレ、期待される役割と実際の評価の不一致と向き合ってきました。技術的実績やマネジメント経験があっても、それだけでは説明しきれない評価構造の存在を実感しています。また「限界」や「天井」といった感覚は、特定の世代だけの問題ではなく、多くのエンジニアがいずれ直面し得る普遍的なテーマでもあります。本発表は個人的な経験を出発点としながら、キャリアに潜む構造的な前提や暗黙の物語を言語化する試みです。キャリアを上昇の物語だけで語らないための視点を共有したいと考えています。