別にフリーランスにならなくても起業しなくても余暇をつくる方法はあるんじゃないか?
という、40歳を超えなくても実践できるかもしれない「考え方」のトークです。
私が20代で「Webエンジニアは私じゃなくてもできる。私じゃないとできないことをやりたい!」と思い立ってから
狩猟採集民になってきのこ狩りに行くまでのマインドについてお話しします。
トークが響くかもしれない人
トークが響かない民
話せること:
2003 クライアントとサーバーがあるらしい
2003- 三層構造を作るらしい
2005- マイグレーションをするらしい
2007- バッチサーバーが面白いかも
2010- クラウドというものがあるらしい?
2013- 海外で開発ができるらしい
2019- 育休明けに帰ってきたら
2022- そうだ、雲の中に行こう
聞いてほしい人:
一緒に這い上がってきた40代
「お前なんて若手」と叱ってくれる50代
自分の武器がわからない誰しも
大丈夫、「平坦でない道」を選べば、それが正解になる。私の行動原理は2003年以来、手を挙げて挑戦→わからん→やってみてわからん→助けを求め→ググって解決。20年変わらず悩みながら、這い上がっている。文系、氷河期、仕方なく IT エンジニアになったけど、今日も楽しく這い上がっています。私が来た道と道端の花 (技術) を一緒に振り返りましょう。
”エンジニアリングマネージャー”という職種が世間に認知され始め、自分がやっていたことがエンジニアリングマネージャーだということに気づきました。職種に名前がつき認知が広まることで、自分のキャリアが人に説明しやすくなる。という経験をしました。
やってきたことに名前がついた時、人はどんな風に変わるのか・変われるのかを私の20年のキャリアをふりかえりつつお話しします。聞いた人のこれからのキャリアを考えるきっかけ、自分のキャリアが説明しづらいと思っている人の手助けになるトークです。
現在44歳のエンジニアです。22歳からスタートし人生の半分をエンジニアとして生きてきました。
ネットワーク > サーバインフラエンジニアを経て、現在はクラウドエンジニアやプラットフォームエンジニア等の名乗りをしています。
いままでのキャリアの振り返りとこれからの生存戦略について以下のようなお品書きで(採択されたら)お話してみたいと思っています。
20代から30代の若手の方へも、40代以上の方へも、多くの方の気づきや参考になるように書いてみたいと思います。
ソフトウェエアエンジニア、特にWeb系の開発は比較的若い仕事で、定年退職までたどりついた方はそれほど多くありません。
「プログラマー35歳定年説」が囁かれたのも今は昔。この年齢を過ぎても依然キャリアは続いていきます。
社会全体を見回しても、60歳だった定年は来年事実上65歳になり、やがて70歳になろうとしています。
我々団塊ジュニア世代は、プログラマーの定年と社会的な定年のちょうど中間にいます。
優秀な若い世代がどんどん参入してくる一方、リタイアはまだまだ遠い未来という現実とどう向き合い、 自分のキャリアをどう積んでいくか、若い世代に何を伝えられるかを考えてみたいと思います。
皆さんは現在、定年がある企業にお勤めでしょうか?
私は、前職まで60歳定年の企業で働いていました。
当時の私は、60歳の定年退職後は、以下の選択肢があると考えていました。
嘱託再雇用は65歳で終わるので、さらに再就職?当時の担当業務と利用技術を考えると、65歳の自分のエンジニアとしての市場価値は、ほぼゼロです。
別の会社に再就職するとしたら、定年を待たずに早めに動いたほうが良いと考えました。
定年間近の58歳のとき転職活動を開始、お祈りメールを受け取る日々が続きました。
そんなある日、過去のコミュニティ活動でつながりがあった@tomio2480に「定年がありませんよ」と声をかけてもらい、現職に応募しました。
無事採用試験をパスして受領したオファー内容は、「3ヶ月の有期契約」!
さぁ、どうする!?
この続きは、トークの中で!
高専を卒業して、もうすぐ40年になろうとしています。
これまでパートナーや周囲に支えられながら、結婚、出産、リストラ等を経て、システム開発の他、経理、
テクニカルライター、QA、職業訓練指導員など様々な職種を経験してきました。
その結果、「この仕事以外に使う機会なくね?」というスキルが積み上がり、「何が得意ですか?」
と訊かれても答えることができず、挙げ句「器用貧乏だね」と言われて凹んだこともあります。
前職の定年が視界に入り始めたの58歳のときに
「このまま60歳で定年退職して、嘱託再雇用されて65歳でまで働くの?次の就職先をそれから探すの?」
と疑問が湧き転職を思い立ち転職しました。
現職では技術広報を担当し、エンジニアリングの機会を見つけては、ほくほくしながらコードを書く毎日です。
「どんな経験も無駄じゃなかった!伏線回収してる!?」という、今の自分の気持ちをお伝えしたいです。
私は30超えるまで自分に対して投資もせず、キャリアについても良く考えていませんでした。なんなら仕事は適当に済ませて、趣味に生きられれば良いと思っていました。今はスタートアップでマネージャをしています。
そんな私のキャリアの大きなきっかけになったのは、コミュニティへの参加です。参加しているエンジニアから刺激を受け、これからの人生に危機感を覚え、どうすればこの不安を解消できるのかを考え始めました。しかし、それまでの積み上げがないエンジニアがどのようにキャリアを作っていけばいいのでしょうか?
私のセッションは、自分のキャリアの危機に気づいた周回遅れエンジニアが曲がりなりにも歩みを続けていくために取り組んで来たことについてお話します。
四半世紀、IT業界で生きてきました(中断有)。
あえて現状をこう名乗りましょう、「底辺プログラマー」です、と。
「底辺プログラマー」とは、大体の人が聞いてイメージする通り、仕様を受け取りコーディングを担当するプログラマのことです。
特にリーダー的ポジションを担うわけでもなく、仕様策定や見積もりにも関わらず。
マネジメントも特にしない。
責任もないし収入もほぼ伸びない。
そんな開発専門の外注メンバーのことをここでは指します。
中堅プログラマーやSEっぽい仕事をしていたこともありましたが、結局は底辺に落ち着いてます。
決して稼げているわけではありませんし、心を病んだこともあります。
それでも、四半世紀この業界で活動し生き残っています。
その理由はなんなのか?
このトークセッションでは、その理由を分析し、この先四半世紀生き残れるエンジニア像を予想していきます。
「エンジニアはかつての威勢を失い支配者たるAIのかげで細々と生きのびる存在に成り果てていた……」みたいな話はしません。
エンジニアがキャリアの後半をどう戦っていくかというトークです。
人類は気力体力視力の衰えやその他さまざまな理由により、年齢を重ねるごとに活動限界に制約を受ける仕組みになっています。
その時に頼れるのが経験なのですが、そもそも我々が生きのこるために必要な経験は、どうやって積み重ねると良いのでしょうか。
私は、意思決定に関与することがその答えだと考えます。
エンジニアの仕事は日々の意思決定の積み重ねです。
変数の命名からアーキテクチャ選定、あるいは採用や事業計画の策定まで、我々は大小さまざまな意思決定を行なっています。
本セッションでは、その意思決定をいかに経験として蓄積し、キャリア後半を生き抜くために活用するかについての学びを共有します。
私の最初の転職は40代の頭でした。
勤めていたSIerを辞めてSESの世界に飛び込んだのは、昇進して管理職になりたいのではなく、使う人のそばで必要とされるものを作りたかったから。
転職して、現場で要望に答えながら課題解決するのは楽しかったです。
でも何故か「このままで良いのか」という漠然とした不安を感じていたんですね。
そんな時に読んだ、カイゼン・ジャーニーという本の「それで、あなたは何をする人なんですか?」というセリフに衝撃を受けました。
「何でもやるけど、何かが特別できる訳ではない自分」という現実を突きつけられたんです。
これが不安の正体でした。
以来、この問いに対する答えを探し続けていますが、未だに答えは見つからないです。
ただ、同じような悩みを抱えている人に、40歳を過ぎてからでも遅くはないと伝えたいので「今踏み出す一歩は、何よりも尊い」という話をしたいと思います。
IT エンジニアの世界は「転職が当たり前」です。転職しないと幅広く高度なスキルを獲得しづらい、収入を増やせない、というのもよく聞く話です。
また、IT エンジニアに限らず、転職せず 1 つの会社で勤め上げるのであればマネジメント職(またはそれと等価なポジション)に昇進しないと一定以上に収入を増やすことができない、とも言われています。
そんな「常識」に反して生きてきた中で、私が意識的または無意識に選択し、結果的にスキルアップや収入増に繋がった行動・思考について、振り返ってみたいと思います。
「文系出身&就職氷河期でことごとく面接落ちたため企業に就職した経験なし」だった私が独学でPHPを勉強してフリーランスエンジニアになり、更にエンジニアとして就職、リードエンジニアやマネージャーを任されるまでの間、知らないこと・やったことがないことに対して「できらぁ!」と言ってから必死に頑張って辻褄を合わせることの連続でした。
様々なオファーに対して「できらぁ!」で乗り切ってきた中で、本当にできるようになったこと・どうしてもできなくて迷惑をかけたことの事例を振り返りつつ、「できらぁ!」と言っていいものとダメなものの見極め方について私見をお話しします。
私はこれまでに4回転職を経験し、現在の会社が5社目となります。
現在もカジュアル面談の機会があれば、気軽に参加しています。
私自身、より良い会社があれば転職するべきだと考えています。
また転職する意志はなくとも、”転職活動”は行うべきだと思います。
「転職する」ことも、「現職にとどまる」ことも、どちらも選択です。
年功序列、終身雇用が崩壊したとも言われる昨今、果たして「現職にとどまる」という選択は、どの程度合理的なのでしょうか。
もちろん「転職する」という選択もリスクを伴い、必ずしも最善の選択とは限りません。
このように、所属企業を選択するということについて、探求してみたいと思います。
参考までに、本テーマで取り扱う可能性がありそうな議題をいくつか挙げてみます。
・転職の動機
・現職と転職のリスク
・企業に求めるもの
・転職の手段
・大企業 or ベンチャー
・やりがい/生きがい
技術というよりは年齢ベースでミドルのエンジニアとなってしまいました。
SIerからキャリアをスタートし、事業会社への転職を何回か経験してきました。
これと言って目立った経歴等はなく、
この歳になって、若手のうちにやっておけば良かったと感じたことや、しくじったと思ったことなどを共有し、ちょっとでも尖ったキャリア形成の一助となれればと思います。
・スキル
・キャリア
・書籍紹介
など
みなさんは新卒からエンジニアになったでしょうか、それとも異業種からのキャリアチェンジでしょうか。
わたしは高卒でテスターのアルバイトを長年やり、その後IT業界の正社員になったものの、ちゃんとコードを書くエンジニアになったのは転職後、その時すでに30代の半ばでした。
そこでAndroidアプリエンジニアとしてのキャリアをスタートさせ、現在の会社に転職し、テックリードを経験した後に今ではAndroidユニットのマネージャーをしています。
また、国内最大のAndroidカンファレンスイベントであるDroidKaigiにも複数回登壇しました。
このようにコンピューターサイエンスの下地がない状態からエンジニア人生をスタートさせ、キャリアアップをしていった自分が何を大切にしてきたか、「きっと自分はどこに行ってもある程度通用する」と自信が持てるまでに何をしたかを話します。
自分自身のキャリアを振り返るに、対象が小さくともその業界におけるトップランナーとして認識されるように努めています。そのために日々のアウトプットやコミュニティへの参加、コミュニティ作りなどを行っています。
その他大勢にならないことが一番のキャリア形成だと考えており、その辺りの知見を共有できればと思います。
何かのスペシャリストになるには10年かかると言われており、さらに技術トレンドの変化が激しい中で、一つの道を歩み続けるのは困難だと思います。とはいえ、自分が「推せる」と感じたテクノロジーに出会ったら、全力で推して欲しいと思っています。
40代前半、子供の学童期突入を機に、働き方をもがき続けてきました。
35歳もとうにすぎ、時短や定時退社の働きママは敬遠された時代、スタートアップへ飛び込んでご縁をいただき、なんとかキャリアをつないできました。そこからの不思議なご縁で現職までに至ります。
そんなわたしも、今や50代。
子供たちももう大きくなり、(お金はかかりますが)手はかからなくなっています。
今大変な「働きママ」のことを思うと、ずいぶん楽になってしまい、もはやこの看板はおろすべき...と思うようになりました。
さて、そこからどうやっていこうか。
この12年間を振り返りながら、なにかお話をしてみたいと思います。
「アクティブシニア」という言葉があります。身体機能や認知機能に若干の衰えがあったとしても、逆に向上する能力もあるとのことです。
ではエンジニアならばどうでしょう?
わたしはマネジメントを主軸に活動してきましたが、50歳からバックエンドエンジニアとしてさらに踏み出しました。
プライベートでは、自分と親というステージの異なる衰えに対面しており、日々の変化に疲弊することも多いのが正直なところです。多少どころじゃない衰えです。
とはいえ、自分の能力を見極め「アクティブシニアエンジニア」でありたい。ネガティブな変化も楽しいものに変えていきます。
このセッションでは、わたしが今までどのように考え、キャリアを選択してきたかというエピソードを添え「アクティブシニアエンジニア」を目指すこれからについてお話したいと思います。
今なお選択しつづけるわたしの体験が、誰かの心に刺さりますように...!!
本セッションでは、ADHD、ASD、双極性障害などの神経発達症をもつエンジニアの視点から、これらの特性をテック業界での強みに変換する方法を探ります。当事者としての実体験を交えながら、以下のポイントを中心に議論を展開します:
・神経多様性がもたらす独特の思考パターンや能力を、コーディング、問題解決、イノベーションにどう活かすか
・従来デメリットと捉えられがちな特性を、プロジェクト管理やチーム協働の場面でポジティブに活用する戦略
・感覚過敏や注意力の変動など、日々の仕事に影響を与える症状への対処法と環境調整のテクニック
・長期的なキャリア構築を見据えた自己理解と強みの育て方
診断の有無に関わらず、自身の特性と向き合い、それを武器に変えていく過程を共有します。このトークを通じて、神経多様性を持つエンジニアが自信を持ち、その独自の才能を最大限に発揮できるヒントを提供します。