私がここまで生きのこれた理由は、主語を「自分」から「チーム」へと変え、考え方を「自分のため」から「誰かのため」へとシフトできたからだと感じています。
若い頃は、自分の技術力向上に専念し、自分の考えを優先していました。しかし、そこから「チーム」を主語とし、チーム全体の成功を目指す考え方へと変化させました。
この変化を支えたポイントは次の通りです。
このセッションでは、「自分のため」から「誰かのため」へのシフトを実践する中で培った具体的な取り組みと経験を共有します。
私は特定の技術に対して強いこだわりを持つことができていません。
昔はこれを自分の弱みだと感じていましたが、今では「目的のためにこだわりを捨てられること」はむしろ強みではないかと考え始めています。
AI技術の進歩は驚異的であり、今後の仕事のやり方はこれまで以上に急速に変化していくでしょう。こうした時代において、自分のやり方や特定の技術に固執することは、かえって足枷になる可能性があります。
本セッションでは、変化の激しい環境において、エンジニアとして「こだわらないこと」のメリットや、逆に「こだわるべき点」についてお話しします。
本セッションの目次は以下のイメージです。
【概要】
システムの保守運用は出来ても自分自身のメンテナンスはおざなりにしてしまう...そんなことありませんか?
しかし、システムの健康はエンジニアの健康あってこそです。
自分という唯一無二のシステムを知り、年齢を重ねても「生きのこる」ためのTipsをご紹介します。
【対象者】
・年齢を重ねるにつれて体力・気力が衰えてきたと感じる方
・セルフケアに関心がある方
【内容】
健康管理をシステムの保守運用に例えながら、長期的かつ安定的に健康を維持するためのヒントをご紹介します。
・入出力〜行動と結果を振り返り、自分の心地良い状態を知ろう
・ログ〜体重、摂取カロリー...日々の記録から自分の変化を知ろう
・ヘルスチェック〜外部からフィードバックを受けよう
・暫定対応と恒久対応〜人間にとっても両方大事です
システムを知るように自分を知り、自分自身を適切にメンテナンスしていきましょう!
このカンファレンスは、生きのこることがメインテーマですし、参加者、登壇者は生き残ってきた人たちばかりです。
では逆に、どうすると生き残れないのか?
エンジニアとして活動する中で見かけてきた生き残れなかった人たちの話をすることで
最低限、どんなことが生きのこりにつながるのかを浮き彫りにしてみたいです。
本セッションでは、キャリアの軸を作りつつも、それをぶらさずに変化に対して柔軟に対応するために、私が日々考え、実践しているバランスの取り方についてお話します。
例)
聴いてくださるみなさんの今後のキャリアにとって、役に立つ考え方を一つでも多く提供できればと思います。
お子さんのいる家庭ではいつかお子さんが大人になり、どこかの会社に就職して働き始める時が来ると思います。
私は元々モバイルアプリエンジニアだったのですが、3年前に子供も同じモバイルアプリエンジニアとして就職しました。
以前に比べるとITエンジニアが人気な職業である現在、ITエンジニアである親がITエンジニアを目指す子供をサポートすることは効率的であり、優位性があると感じました。
このトークでは以下についてお話しようと思います。
小学生からプログラミングを始めた僕は、そろそろプログラマ歴40年。中学生の頃には、古のコンピュータ雑誌I/Oに投稿。その後、プログラマ、ネットワーク管理者、SE、そして趣味の電子工作と何でもこなし、分野問わず多数の書籍を執筆しています。
何でもできるのは、分野違いでも仕事を断らず挑戦してきたから。
都度、勉強のし直しは大変と思われるかも知れませんが、「コツ」があります。その分野の原理原則の「知識」と、自分で考えなければならない「知恵」を分けることです。
知識は分野で違いますが、知恵は経験で身につくもの。分野の違いはありません。覚えることと考えることを分けるのが大事なのです。
所詮ソフトウェアは、入力を加工して出力するだけのもの。幅広く扱える力を身に付ければ、新技術も怖くありません。
このトークでは、僕の経験を基に、幅広い知識を身につける考え方、それを基にしたエンジニアの生き方をお話します。
AIにコーディングを任せることが現実味を帯び、さらにそのスコープが広がりを見せる時代、エンジニアの役割は大きく変容します。本セッションでは、キャリアの大部分を事業会社のPM/EMとして過ごしてきた話者の知見を基に、エンジニアの新たな可能性を探ります。
課題設定と価値探索、非エンジニアとAIのインターフェース役—これらが今後のエンジニアの中核的役割となり、そのために「誰にどんな価値を届けるか」というシステム開発のより本質的な課題と向き合う必要に迫られるでしょう。
本講演では、AIが台頭する時代においてエンジニアが採るべき具体的な戦略として「技術的専門性を維持しつつ、ビジネス価値の創造者としての道筋」を提案します。
参加者は自身のキャリアを主体的に進化させ、社会的価値の創出につなげる気付きを得られます。
AIがもたらす変化を好機と捉え、新時代を生き抜くエンジニアの姿を共に探求しましょう。
インターネット、クラウドコンピューティング、生成AI。
十年に一度くらいのスパンで、ゲームチェンジャーとも言える革新的なIT技術が登場してきました。
これらはソフトウェア開発のあり方をも変え、その度に私たちエンジニアも大きな変容を求められます。
このような大きな変化に対応するためには、リスキリングによって自らのスキルを大きくアップデートすることが必要となります。
それはとても大変ですし、この先時代の激流についていけるのだろうかと不安を抱くこともあるのでしょう。
本トークでは、時代が変わっても変わらず通用する本質的な技術やマインドセット、思考方法について私の考えを共有します。
核となる「変わらないもの」を自分の中に構築することで、「変わりゆくもの」の動向を捉え、変容のための学び直しを効率的・効果的に行えるはずです。
変化の激しいIT業界で長く活躍するためのヒントを提供できればと思います。
20年以上のエンジニア人生を振り返ってみると、ターニングポイントはいつも「即答」にあったような気がします。
気になる技術、やってみたい仕事、一緒に仕事をしてみたい人、etc...
そういったものに関わる誘いがあったとき、少しでも返答を躊躇してタイミングを逃していたら、同じ機会は二度と訪れず今の自分は無かったかもしれません。
決断を躊躇する理由は無数にあります。
「まだ自分には早いかも」
「今は忙しいから」
「次の機会があるだろう」
考えれば考えるほどそんな気持ちは強くなります。
そういうときは考える前に「即答」してしまった方が、覚悟が決まって先の道筋が見えてくるものです。
とはいえ、その決断が間違っていたらと不安になりますよね。
このセッションでは、その一瞬の判断を間違えないようにどんなことを心掛ければいいのかをお伝えします。
父親がエンジニアで幼い頃からプログラミングをして生きてきました。
プログラマー歴は長いけれど、開発とは関係のない仕事につき、その後結婚出産子育てで8年ほどキャリアを断絶しました。
社会復帰後、開発者としてバリバリやっていくには遅すぎた私が、紆余曲折を経て「きのこ先生」としてキャリアを再構築した話です。
当時は珍しかった女性エンジニアが、女性ならではの苦難なども経験しつつ、それでも「女性こそエンジニアになるべき」と思っている理由などを含め、このセッションに思いの丈をぶつけたいと思います。
皆さんは現在、定年がある企業にお勤めでしょうか?
私は、前職まで60歳定年の企業で働いていました。
当時の私は、60歳の定年退職後は、以下の選択肢があると考えていました。
嘱託再雇用は65歳で終わるので、さらに再就職?当時の担当業務と利用技術を考えると、65歳の自分のエンジニアとしての市場価値は、ほぼゼロです。
別の会社に再就職するとしたら、定年を待たずに早めに動いたほうが良いと考えました。
定年間近の58歳のとき転職活動を開始、お祈りメールを受け取る日々が続きました。
そんなある日、過去のコミュニティ活動でつながりがあった@tomio2480に「定年がありませんよ」と声をかけてもらい、現職に応募しました。
無事採用試験をパスして受領したオファー内容は、「3ヶ月の有期契約」!
さぁ、どうする!?
この続きは、トークの中で!
私はこれまでに4回転職を経験し、現在の会社が5社目となります。
現在もカジュアル面談の機会があれば、気軽に参加しています。
私自身、より良い会社があれば転職するべきだと考えています。
また転職する意志はなくとも、”転職活動”は行うべきだと思います。
「転職する」ことも、「現職にとどまる」ことも、どちらも選択です。
年功序列、終身雇用が崩壊したとも言われる昨今、果たして「現職にとどまる」という選択は、どの程度合理的なのでしょうか。
もちろん「転職する」という選択もリスクを伴い、必ずしも最善の選択とは限りません。
このように、所属企業を選択するということについて、探求してみたいと思います。
参考までに、本テーマで取り扱う可能性がありそうな議題をいくつか挙げてみます。
・転職の動機
・現職と転職のリスク
・企業に求めるもの
・転職の手段
・大企業 or ベンチャー
・やりがい/生きがい
40代前半、子供の学童期突入を機に、働き方をもがき続けてきました。
35歳もとうにすぎ、時短や定時退社の働きママは敬遠された時代、スタートアップへ飛び込んでご縁をいただき、なんとかキャリアをつないできました。そこからの不思議なご縁で現職までに至ります。
そんなわたしも、今や50代。
子供たちももう大きくなり、(お金はかかりますが)手はかからなくなっています。
今大変な「働きママ」のことを思うと、ずいぶん楽になってしまい、もはやこの看板はおろすべき...と思うようになりました。
さて、そこからどうやっていこうか。
この12年間を振り返りながら、なにかお話をしてみたいと思います。
「アクティブシニア」という言葉があります。身体機能や認知機能に若干の衰えがあったとしても、逆に向上する能力もあるとのことです。
ではエンジニアならばどうでしょう?
わたしはマネジメントを主軸に活動してきましたが、50歳からバックエンドエンジニアとしてさらに踏み出しました。
プライベートでは、自分と親というステージの異なる衰えに対面しており、日々の変化に疲弊することも多いのが正直なところです。多少どころじゃない衰えです。
とはいえ、自分の能力を見極め「アクティブシニアエンジニア」でありたい。ネガティブな変化も楽しいものに変えていきます。
このセッションでは、わたしが今までどのように考え、キャリアを選択してきたかというエピソードを添え「アクティブシニアエンジニア」を目指すこれからについてお話したいと思います。
今なお選択しつづけるわたしの体験が、誰かの心に刺さりますように...!!