郡山 昭仁
koriym
ソフトウェア工学70年の歴史で、我々は三つの主要パラダイムを経験しました。命令型(How)は手順を、オブジェクト指向(Who)は主体を、関数型(What)は計算内容を問いました。本講演では第四のパラダイム「存在論的プログラミング(Whether)」を提唱します。
従来のプログラミングはDOING(何をするか)に着目します:
$user->validate();
$user->save();
$user->notify();
対して本手法はBEING(何であるか)に着目します:
$rawData = new UserInput($_POST);
$validatedUser = new ValidatedUser($rawData);
$savedUser = new SavedUser($validatedUser);
動作を指示するのではなく、オブジェクトが「どう変容するか」を表現するのです。
『時間と存在は分割できない』——アインシュタインが時空の不可分性を説いたように、我々は「時間とドメインの不可分性」を基礎とします。メソッドを持たず、コンストラクタのみを持つそのオブジェクトは、内在(イマナンス)と超越(トランセンデンス)の出会いにより、時間の中で変態(メタモルフォーシス)し、時間的存在として自立します。
「さっぱり、何のことか分からない」と感じましたか? しかし、その違和感はかつて60年代のアセンブラ利用者が初めてOOPに触れた時の衝撃と同じで、これが単なる方法論ではなくパラダイムシフトである証拠かもしれません。
70年間、我々は「より良い命令」を追求してきました。しかしAIが「命令(How)」を無限生成する今、人間が書くべきものは手順書ではなく「存在(BEING)の定義」です。