ゆきお
ykkn0113
①発表概要
中高一貫の女子校を卒業し、大学へ進学。そこで直面したのは就職氷河期の厳しさでした。学歴が機能しづらくなっていた中で、私はインターネットとオープンソースに世界を変える可能性を感じ、大学を中退しました。 しかし、現実は甘くありませんでした。コミュニティでの評価を市場価値と混同したことによるキャリアの迷走や、リーマンショック後の景気悪化の中での解雇。時代の状況や自らの判断ミスに翻弄されながらも、私はエンジニアであり続けることで生きのこってきました。 本セッションでは、四半世紀にわたり、世界を変える技術への憧れを胸に歩んできた生存術を提示します。失敗を経験として次に活かす考え方、コミュニティとの適切な距離感、そして環境の変化に応じて役割を変えながら生きのこる知恵。 将来に不安を抱く若手へ、生存者の視点から明日を切り拓くための現実的な知恵を共有します。
②発表の詳細
本セッションでは、厳しい時代に世界を変える技術に自らの人生を賭けた決断と、その後のキャリアで得た教訓を振り返ります。
1.時代の状況と大学中退という選択
2000年代前半、大卒就職率が50%台まで落ち込んだ就職氷河期の中でも一番厳しかった時期。中高一貫の女子校から関関同立の一角へと進みましたが、当時の就職状況は極めて厳しく、私の周囲では旧帝大卒でも地方公務員、関関同立でも正規雇用に就けないことが珍しくありませんでした。限界を感じていた私は、インターネットとオープンソースが持つ可能性に賭け、大学を中退しました。これは当時の状況に対する自分なりの対応でしたが、その後の厳しい現実にも直面することになります。若手に対し、たとえ選んだ道で困難に直面しても、原点にある技術への確信をどう守り抜き、どう生きのこるべきか、その姿勢の重要性を伝えます。
2.コミュニティへの依存が招いた教訓
世界を変える技術の象徴であったコミュニティ。しかし、コミュニティでの評価を自身の市場価値と履き違えてしまいました。繋がりを優先して仕事を選んだ結果、年収が落ち込むという経験をしました。この失敗から学んだのは、コミュニティはあくまで自立した個人が関わる場であり、自身の生活基盤やキャリア形成とは切り離して考えるべきであるという教訓です。現代の若手へ、コミュニティとの健全な距離感について提案します。
3.環境の変化に適応し、エンジニアであり続けること
リーマンショック後の景気悪化による解雇など、外部環境の変化にも直面してきました。生きのこるために、その時々の現場で求められる役割を柔軟に引き受けてきました。それはエンジニアとして働き続けることを最優先した結果です。不透明な状況下で、どのように自身の役割を再定義し、キャリアを継続させてきたか、その現実的なアプローチを共有します。
4.四半世紀を経て今思うこと
40代になってもこの先生きのこれるかという問いは続いています。しかし、これまでの失敗や迷走も、現在までエンジニアを続けているという事実の前では、すべて経験の一部となります。 まとめとして、時代の状況や自らの失敗に翻弄されながらも、エンジニアとしての誇りを胸に歩み続けてきた経験から、若手エンジニアに対し、自身のキャリアを長期的に捉え、生きのこるための視点を提示します。
③想定する聴衆とその人たちが得られるもの
想定する聴衆
・自身のキャリアや将来に不安を感じている若手エンジニア
・環境の変化や失敗をどのように乗り越えるべきか悩んでいる方
・成功談ではなく、失敗からの立て直し方を知りたい方
得られるもの
・厳しい環境下でエンジニアとして働き続けるための考え方
・コミュニティや外部評価との適切な距離感についての知見
・失敗しても終わりではないという実例に基づく確信
④ なぜあなたがこのトピックについて話すのか
私は就職氷河期に、オープンソースとインターネットの可能性を信じて大学を中退した当事者です。学歴すら通用しなかった時代に、自らの意志で選んだ道で味わった困難を、エンジニアとしてのキャリアを守るためのプロセスとしてリアルに語ります。 成功談だけでなく、自らの判断ミスや時代の状況によって直面した困難を、事実に基づいて語れることが私の強みです。40代以上の登壇者が若手に知恵を共有するという本カンファレンスの趣旨において、私の四半世紀の生存記録は、若手エンジニアにとって参考事例になると考えています。
参考資料
東京・大阪・コミュニティを渡り歩いた約四半世紀の記録
https://speakerdeck.com/yukio0113/dong-jing-da-ban-komiyuniteiwo-du-ribu-itayue-si-ban-shi-ji-noji-lu