世の中から「クソコード」は無くせるものでしょうか?
せめて、地球や宇宙の全部とまではいわなくても、「私の身の回りにある世の中」であれば可能でしょうか?
私は、なるべく「クソコードなんて視界に入ってこないで欲しい」と考えています。
一体どうすれば奴らはいなくなるのか。すごく難しそうです。
ですが、「新しくクソを生まないようにしよう」というのは可能でしょう。
そのための一歩として、「クソコードと呼ばないようにする」ことを本トークにて提案したいです。
「心理的安全性が高いチーム」「人として、周りに気を配れる」「社会性フィルター!オン!!」
どれも大事ですね。とても大事です。
ですが、私は、もっと利己的な理屈をもって「クソコードと呼ばない」というムーブメントに取り組んでいます。
「温かい空気を作るため」ではなく、「もっと自分が技術者として成長するため」に、「クソコードなんて言葉は使わないぞ!」と決めたのです。
コードや成果物に対する「批判」は大事です。しかし、それは決して「あげつらう」ことではありません。
共有可能な価値観を提示し、それに照らし合わせて、より適正な在り方を目指す・・・そうした「批判」です。
「なんでこんなコードを書くのだろう」。
その根本にあるのは「コードの書き主が知らないことがある」「自分が見落としている事がある」の何れかです。
ここで「それはクソコードだ」と言ってしまえば、思考は停止してしまうと思います。
もっとダイブ出来るはずです。書き手の気持ちを考えよう。「なぜこの書き方を?」「どういう思考プロセスを経てこの書き方をしたのか?」「自分だったら、どこで”こうじゃない”と気付くはずか?」「単に書き手の技量不足だろうか。その足りない知識は、自分がわかりやすく説明できるだろうか?」クソコードから学べることは多いと考えます。
自分で納得できるまで「そのクソコードの生まれた歴史」を突き詰めていますか。
改めて、クソコードを超越した開発者になりたいと強く念じます。
極めて個人的な主張、理屈になってしまうかも知れません。
ですが、このセッションを通じて、こらからの未来に1回でも多くの「クソコード」発言が減らせたら幸いです。